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渡航者体験談 / vol.10

不安や泣き言もあった海外生活それでも自分を信じて必死でやれば結果は必ず付いてくる!

憧れだった海外生活が現実に!

学生の頃から、ずっと海外での長期生活に憧れを抱いていました。しかしながら、どうしても自信と勇気が持てず、ついつい先延ばし。気がついたら20代後半になっていました。当時私は、派遣社員として働いていましたが、ある会社では仕事がなくて契約終了になったり、また他の会社でも移転があったり。仕事に集中できる環境ではなかったため、いっそ仕事を切り上げて海外に行くにはいい時期なのでは、と感じたんです。

そんなとき出会ったのが、留学支援会社のラストリゾート。カウンセラーの方と話をしているうちに、だんだんと憧れが現実のものになっていき、自分の中ではっきりと目的が見えてきました。行きたい国も決まり、あとはVISAを取るための審査をこなすだけ、とトントン拍子に進んで行ったんです。ところが、第一次審査が通り、第二次審査を残すのみになった頃、コーディネーターの方が書類のチェックができないと言ってきて……。おそらくコーディネーターの方も忙しかったのでしょうが、これには正直、留学を取りやめようかとも思いました。こちらとしても仕事をしながら書類集めをしていたので、納得がいかなかったんですよね。そこで、自分が思っていることをきちんと先方に伝えたところ、私の気持ちが伝わったのでしょう、書類を確認してもらうことができ、なんとか提出することができました。そして結果は、無事通過! ようやく憧れの地・イギリスに飛び出すことになったんです。

前途多難? 苦労の多かったウエイトレス経験

留学直後の08年8月から12月までは、スコットランドにあるハイランドホテルで、ウエイトレスとして働きました。最初の1ヶ月半は、スコットランド訛りの英語に悩まされっぱなし。そのうえ同僚の大半がハンガリー人という環境で、もう辞めたい……と、何度も思ってしまいました。エージェントに電話して泣き言を言い「せめてホテルだけでも変えてほしい」とお願いしましたが、「どこへ行っても同じ状況になるから、とりあえず頑張ってみて」とのお答え。「それでもダメなら、お金を払ってホテル変更したらどうか」と言われ、とりあえず踏ん張ってみようと気持ちを切り替えました。

そして働き始めて2ヶ月半がたった頃のこと。マネージャーから朝食時は忙しいからお皿を4枚同時に運ぶように言われ、私は正直に「できない」と答えました。すると「できないと言うな!練習すればできる!」と、厳しく一喝されてしまったんです。それからは、もうマネージャーの言葉と自分を信じて、「できる」と自分に言い聞かせながら、とにかく練習に明け暮れる日々。練習のかいあって見事運べるようにもなり、マネージャーからも「ほらできただろう? よくやった」と褒めてもらうこともできました。このことがきっかけで、自分に自信が持てるようになり、「やってみれば、できないことは何もないんだ」と、考え方が前向きになったんです。

ところが3か月を過ぎたころ。今度は、仲良くしていた同僚が、陰で私の文句を言っていることが判明したんです。それを知ったときには、とてもショックでした。一生懸命、仲間に好かれようと努力をしていたので、余計に衝撃が大きくて……。結局、好かれようと必死になっても文句を言われるなら、素の自分で言いたいことをはっきり言ったほうがお互いのため。そう思い直して、自分が思ったことは直接本人に伝えるようにしたところ、それがきっかけで打ち解けることができ、何でも言い合える仲になれたんです。自分らしくいることが大切だということ、言わなければ伝わらないということを、再認識させられた一件でした。

第二の家族、ホストファミリーが心の支えに

大変なことも多かった留学生活ですが、ホストファミリーには本当に恵まれました。 最初のホストファミリーは、子供のいない夫婦。二人とも、とても親切で、特にホストファザーとは年齢が同じということもあり、友達のように仲良くなれました。CVの作成時には、深夜まで私の英語の表現がきちんと通じるかどうかをチェックしてくれて、ずっと終わるまで起きて付き合ってくれたり。また、私がケンブリッジ英検を受けるといったときには、練習問題がWEB上で出来ると教えてくれたり。彼のおかげで英語を話すことに躊躇しなくなり、喜びを感じるまでになれました。今でも、とても感謝しています。

次のファミリーは、母親と子供二人の家族でした。とっても陽気なホストマザーで、一緒にいて本当に楽しい方でした。彼女が私に対して、自分の子供のように接してくれたおかげで、家族の一員になれたような気がしました。上の子は17歳というちょっと難しい年齢でしたが、一緒にアルバイトを探したり、音楽を聞いたり、時には口げんか(といっても、たいしたことはないですが)をしたりと、本当の姉弟のように過ごすことができました。下の子はダンスが上手で、私がたまに甘いものをお土産に買って帰ると、とても嬉しそうにはしゃいでいたのを覚えています。

仕事も語学も、とにかくやるしかない!

ようやく海外生活にも慣れたころ、私は再びアルバイトをしようと考えました。ところがCREDIT CRUNCH(大恐慌)のため、なかなか仕事が見つからず……。「数を打てば当たるはず」と思いながら、祈るような気持ちでバイト先を探しました。探し始めて3ヶ月目、ようやくJAPAN CENTREという日本の食材や雑貨を扱う店の惣菜販売担当として採用されることになったんです。採用されたのはもちろん嬉しかったのですが、マネージャーからは「人がいないので戦力になってほしい」と言われ、正直、不安でいっぱいにもなりました。というのも、私は店の仕組みがまったくわからなかったんです。でも、もうそこは「とにかくやるしかない!」という気持ち。必死で約2ヵ月間、働きました。そして帰国がせまっていたある日、辞める意思を告げたところ、「辞めちゃうの?せっかく戦力になったのにね」と言ってもらうことができたんです。私も戦力になれたのだと実感し、またひとつ自信を持つことができました。

またJAPAN CENTREと1ヶ月間並行して、フレンチレストランでもキッチンアシスタントとして働きました。キッチンアシスタントは生まれて初めての経験でしたが、お店自体がアットホームな雰囲気で、すんなり溶け込むことができました。仕事内容は皿洗いがメインで、他にもお客様の食事をリフトに乗せること、キッチンの掃除などなど。力仕事もあり大変でしたが、シェフもオーナーも協力してくれたので、まったく辛さは感じませんでした。このお店で働いたことで、一人で何でもやるのではなく、チームワークが大事なのだとつくづく実感。それと同時に“仕事をしながら英語を話している自分”にも、これまでにない満足を感じることができました。やはり私は英語を話すことが心から好きなのだ、と改めて感じる日々でした。

その頃にはもう、英語は私にとって必要不可欠なものになっていました。日本人ひとりという環境のおかげで、以前よりも英語がスラスラと出てくるようになり、頭の中でも日本語で考えることがなくなっていたんです。ただし、ケンブリッジ英検の対策勉強だけは別問題でした。毎日宿題が出て、午後三時間勉強し、頭がフル回転……。時には頭痛に見舞われ、英語が嫌いになりかけたこともあります。そんなときには「私はイギリスに英語を学びにきたのだから」と自分に言い聞かせるだけ。そして時には、友人に愚痴を言って励ましや喝をもらって、なんとか三ヶ月間、ケンブリッジのコースをやり遂げることができました。この経験は、私に継続することの重要さに気付かせるとともに、大きな達成感をもたらしてくれました。途中で投げ出さずに、本当に良かったと思います。帰国した今でも、文法はコツコツ勉強を続けています。

思い返してみると、あっという間ですが、本当に実りの多い一年でした。「案ずるより産むがやすし」の精神を身につけられたこと。自分を信じていれば道は開けることを実感し、「やればできる!」を体感できたこと。また家族や友達、日本の素晴らしさに改めて気づけたこと……。これらはすべて、イギリスに行ったからこそ学べたことです。イギリスに行って良かったと、心から思っています。もし留学に迷っている人がいるなら、ぜひ日本を飛び出す勇気を持って。そうすればきっと、ひと回り大きくなった自分と出会えるはずですよ♪

田島望さん
名前 田島 望さん
渡航先 イギリス・ロンドン(ワーキングホリデー)
渡航期間 2008年7月〜2009年7月
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