VOICE

海外生活サプリHOMEVOICE:渡航者体験談>volume.9:保田千草さん

渡航者体験談 / vol.09

1年間のつもりが、たった35日間になってしまった語学留学でも、それはほんのスタート地点ワーホリは、帰国後も、人生のゴールまでずっと続いてる

私の留学が1ヶ月足らずになってしまった理由

私の語学留学は、2009年の1月からニュージーランドにわずか5週間だけ。もちろん私も短すぎるとは思っていました。ですが、今では本当に行って良かったと思える、かけがえのない経験ができたと思っています。

1年半程前、仕事で思うようにならないことがあったり、私生活で悩むことが多くなった私は、「環境を変えたい」という想いから、一人でいろいろな国へ行って多くの人と出会ってみたい、と英会話を習い始めました。それから半年も経たないうちに留学斡旋会社へ足を運びました。

ところがワーキングホリデーを決心した次の日、私はある病気の疑いがあると診断されてしまったんです。良性であっても手術が必要で、悪性なら長い治療が必要なばかりか、万が一も覚悟しなければならない病。心に決めたのもつかの間、仕事も辞めて通院。当然もう海外など行ける状態ではありませんでした。「こんなことなら、もっと早くに行っておけば良かった」。今までの自分の生きてきた時間を振り返って、激しい後悔で涙が出ました。でも、どうしてもあきらめきれず、私は検査を繰り返しながら、英語の勉強を続けました。

それから約半年後、手術をした結果、良性であることが判明し、幸運にも日常生活に戻れることになりました。が、さすがに術後の傷や体力のことも あって、ワーキングホリデーは難しいとわかりました。しかもその頃は会社を辞めて自宅に居ましたし、決意してから長い時間が経ってしまったこともあり、 「仮に短期間留学をするとして、本当に行く必要があるのか」という強い迷いが出始めていました。その上、私の身体を気遣う家族からの心配と反対に心が揺れ、自分の中でも渡航準備の大変さや体調、自分自身の英語力に対して不安が出始めてしまいました。無理なく行けるよう悩んだ末決めた一ヶ月。けれども、こんな大変な状況でわざわざ今行く必要があるんだろうか……。

たった1ヶ月…本当に行く意味なんてあるの?

『何のために行くのか』。周囲の反対にあううちに、本当は自分がどうしたいのかわからなくなることもしばしばでした。でも、これは自分で決めなくては先に進めません。今行かなかったらまた後悔する。これからの自分のことを好きになれない気がする。でも、今一歩踏み出したら、私は前より自分のことをきっと好きになれる。私は病気になったことで、自分自身についてずっと考えていました。病気になったのは自分の生活スタイルや性格のせいだったのかもしれない、というものです。無事に退院することができた今こそ、自分自身をリセットする意味でも、新しい一歩を踏み出す必要がある。そう思ったんです。

それから、ある人に会ってみたい、という想いもありました。私は渡航の前に『キャリアサポートプログラム』のワークショップで、一枚の絵を描きました。緑がいっぱいある中で野菜を育てている大きなお家、イングリッシュガーデンのような花のアーチに彩られた庭には、テーブルがあって、いろいろ な人を招いて楽しい時間を過ごして…そういう風景です。仕事でストレスを感じていたことと、自分が病気になった経験から、自然に触れることの大切さを無意識に感じとっていたんだと思います。そして実際に日本の喧騒を離れて大自然に囲まれたニュージーランドの田舎でB&Bを経営している人が居ることを偶然インターネットで知り、その人に会いに行こうと思ったんです。

私が描いた世界が目の前に…

その方には実際にお会いしただけでなく、滞在中のプランニングも全てお任せしました。はじめはその方のところに泊めてもらい、その後、立てて頂いたプランに従い、郊外にあるいろいろなニュージーランドB&Bを転々とする--。どこもそれぞれの個性とすばらしさがありましたが、共通して言えるのは、全て、私が描いた絵の風景だった、ということです。自然の中で私は癒 され、そして毎日散歩をし、時にはお花の絵を描いたり、子供の絵を描いたりして過ごしました。ガーデンに座って色鉛筆を走らせていると、いろいろな人が話しかけてきてくれました。日本にはない時間の流れやライフスタイル、それを私は身体の隅々まで満喫しました。来るまでが大変だった分、喜びも感動もとても大きなものでした。

前半3週間を田舎町のB&Bで過ごし、すっかりリフレッシュした私ですが、後半2週間は都会であるクライストチャーチへ移動。留学斡旋会社から紹介してもらったホームステイへと拠点を移しました。そこでの生活は、それまでとは大違いでした。カツアゲに遭ったり、夜道で人に追いかけられたり、道行く人からアジア人差別を受けたこともありました。日常生活の中でも、自分の意見を主張しなかったばっかりに損をしたり、断る勇気が無かったばっかりに嫌な目にあったり……。でも、今思うと、楽しくて充実していた前半だけで終わらず、こういう怖い想いもできたからこそ行って良かったと言えるんだと思っています。

留学をするかしないかで悩んだことからもお分かりかもしれませんが、私は飛び込むことは得意でも段階を踏むようなことは継続できなかったり、自分の意見を伝えたりするのがあまり得意ではないんです。それで昔から人に依存してしまったり、誰かのせいにしてしまったり、何か不満があっても衝突したくない想いから我慢して溜め込んでしまうところがありました。クライストチャーチで生活していると、そのことに改めて向きあわされました。こういうことで、 仕事で息詰まったり、自分を見失ったり、病気になってしまうのかもしれないと…。

自分の人生は自分のものですし、自分で責任を持たねばならないものです。人の意見に左右されているうちに、自分の留学が、もっと言えば自分の人生だったものが、いつの間にか他人のものになってしまう……それに気がついた私はもっと、どんな環境、どんな人間関係の元でもぶれない自分の軸を身につけなければならないと思い、滞在中の2週間をより有意義に、自発的に過ごすようにしました。

それから、危険な目にあって、初めて日本のありがたみが分かりました。日本での“普通”は、外から見たら本当に“安全で快適”なんです。ニュージーランドの良いところだけ見ていたら、私はこの異国の地に現実逃避をしてしまったかもしれません。でも、悪い部分も見られたことであらためて日本のすばらしさを再認識でき 、「私は私で日本で頑張ろう」そう思えるようになりました。

帰国後の生活だって立派な“ワーキングホリデー”

ところが、日本での新しい生活がスタートしてみると、実際には思っていたようにうまくはいきません。向こうでは自分を貫けた場面でも、人目を気にしてしまったり、また昔の自分のパターンを繰り返してしまう…というケースがたくさんあります。新しい視野と目標ができて課題がわかる分、大変なことも たくさん出てきたというか…。今まで他人を頼りに生きてきましたが、これからは自分の幸せや生き方を自分で選び取らなければならないですし、今でも、自分の選択に自信がなくなったり不安になったりする時もあります。

でも、考え方によっては、これはワーキングホリデーと同じなんだと思います。帰国後の日本で、ワーホリをやっているようなものなのかなと。私の海外生活は5週間で終了しましたが、ワーキングホリデーという旅は、まだまだずっと続いているんだと思います。留学はいわばスタート地点でしかなく、今のこの日本の生活、これから この人生のゴールまでがずっと続いている旅なんだと思います。

今、私は派遣で働き、「人を笑顔にする場を提供したい」という想いを持ちながら、絵を描いたり、ヒーリングの勉強をしています。それは、ニュージーランドのB&Bで、実際に自分の絵で描いたような光景を見て、いつかは自分もやっぱりああいう家に住み、病気の人や疲れている人、迷い悩んでいる人を笑顔にしたいと思ったからです。そして、これは私自身の目標でもありますが、みんなが自分を知り、自然体で自分らしく生きていけるような“自分も他者も認めながら生きていける”世の中を作りたい。そういう希望を持っています。

私は、たとえ短期間でも、海外へ行って実際に体験したことがこれからの人生の中で活きる糧になると思っています。みなさんも「やりたい」と思うことが見つかったならば、「いつでもできる」と思わず、後悔しないよう実行してみて下さい。私が短い期間でたくさんの体験や出会いを得たように、きっと一歩踏み出すだけで、新しい世界と素晴らしい出来事が待っていると思いますから。

保田千草さん
名前 保田 千草さん
渡航先 ニュージーランド・オークランド
渡航期間 2009年1月~2009年2月(5週間)
渡航目的 現状と自分自身を変えたい、習い始めた英語を使いたい。