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渡航者体験談 / vol.13

目標が定まっていれば、遠かった夢にだって近付ける少しずつ夢が叶えば、新しい目標にだって進んでいける!

フローリストの仕事から新たな目標へ!

小さい頃から父親にたくさん洋画を見せられていたこともあり、私は昔から外国人に憧れを抱いていました。もちろん、それはただのミーハーな気持ちだったかもしれません。「世界中に友達を作ること」。こんな単純なことが、私の10代のころからの夢でした。

そして学生時代。私は「色」の勉強が好きでした。しかしそれだけでは当然、就職はできません。そんなときに知ったのが、ブライダルのお仕事。私は会場装花の仕事やブライダルプランナーになりたいと思うようになり、卒業後はブライダルの専門学校に通うことにしました。しかしながら私を待ち受けていたのは、たった2年の勉強ではブライダル業界に入るのは難しいという現実。私はどうすればいいのかわからず、しだいに葛藤を抱くようになりました。いろいろなことを吸収したい、でもそんなお金もない――私が優先したのは、お花の世界でした。それから私は学校の放課後にフラワーアレンジメント教室に通い、フラワーアレンジメントについて勉強するようになりました。

そしていざ、就職活動。私は、ドレスショップ、プランナー、花屋などを中心に就職試験を受けました。そんな中で、フラワーアレンジメントの先生に紹介していただいたのが、洞爺湖にあるリゾートホテルのフローリストの仕事でした。そのホテルに面接に伺うと、館内のいたるところに生花のアレンジメントがあり、まるでお城のよう。ホテルの担当の方には新人でもすぐに現場に出させていただけると伺いましたが、実家からはかなり遠い場所だったため、正直とても悩みました。しかしこんな贅沢な場所で、またショップ売りでなくデザインの勉強をさせていただけるなんてめったにない機会だと思い直し、そちらのホテルにお世話になることにしました。

入社をして、私がまず行なったのは目標を立てること。私は3年を目標に、フラワーデザイナーの講師免許を取り、そしてその後に海外で英語を勉強しようという計画を立てました。目標があると意欲がわいてくるし、毎日きれいな花たちに囲まれて幸せに仕事をすることができました。それにホテルでは、学生の頃に憧れていた婚礼会場の装花やブーケなども担当することができました。もちろんブライダル以外のレストランの生けこみやフラワー教室なども担当しましたが、私が一番楽しかったのはやはりブライダル装花。それは唯一、お客様の反応を直接感じることができたからかもしれません。

周りの仲間の協力もあり、私は無事3年半の間に講師免許とアシスタントブライダルプランナーの資格を取得することができました。それからサミットに参加させていただいたのを機に、花の世界はいったん中断することを決意。次は海外で英語を取得して、その後、ブライダルプランナーを再び目指すことに決めました。

ニュージーランドに行く前には、エストレリータの講習にも参加させていただきました。この講習では、他人から自分を客観的に見てもらうことで、改めて自分について知ることができました。そして海外で何をするのか、帰ってきてから何をするのか、講習の中で文字や絵にすることで、より留学先での目標をはっきりさせることができました。そこで私が「自分にしかできないことは何だろう」と考えて、思いついたのがブライダルについてのアンケートです。留学先で出会ったいろんな人たちにブライダルについてのアンケートに応えてもらうこと。それから海外の花屋さんで働くこと、一人で旅行ができるようになること。私はこれらを留学の目標に決めました。

いつの間にか小さい頃の夢が叶っていた!

そしていざ、ニュージーランドに到着。まず驚いたのが、ホームステイファミリーの言っていることが全くわからないということ。イエス、ノーしか答えられない自分に、ショックで食事も喉を通らないほどでした。しかしながら、私の家族はとても素敵な人たちばかり。しだいに意思疎通もできるようになり、心地よい生活を送ることができました。ファミリーとは、ホームステイ後も帰国後も連絡を取り合い、今も私の力になってくれています。この人たちの存在がなければ、NZ生活も泣いてばかりだったかもしれません。

それから私が留学したところは大都市だったため、やはり学校にも日本人はたくさんいました。日本語を話したくない自分と、日本人の友達と離れるなんて…と思う自分との間で、最初はかなり苦しみました。せっかく覚えようとしている英語なのに、日本語を話したらその分だけ忘れてしまうんじゃないか、と思ったんです。でも今振り返ってみると、無理に避けたりしないで、もっと自然体で生活すれば良かったなと思います。久々の学生生活をどう過ごしたらいいのか、考えすぎていたのかもしれません。

そうは言っても英語に慣れてくると、学生生活は楽しいものになっていきました。また新しいフラットは国際色豊かだったので、家にいるだけでも、とても楽しく過ごすことができました。ルームメイトに英語を教えてもらったり、一緒に料理をしたり、映画を見たり……ふと気がつくと、いろんな国の人と友達になって、旅行に行って、一緒に暮らして。いつの間にか、幼いころの夢が叶っていたんです!そのときは遠いと思っていても、すぐには届かなくても、目標が定まっていれば絶対に叶えることができるんだと実感しました。

挫折を経て、自信を得られた留学生活

その一方で、当初の目標だったブライダルのアンケートを配ることは、まだできずにいました。学校に行っても、こんなの誰も書いてくれないんじゃないかと思いこみ、キャリーケースの中にしまいこんだまま、とうとう卒業してしまいました。

しかしながら卒業後は、何もしないという状況が苦痛で、CV(履歴書)を持って、街中の花屋を回る日々。つたない英語でしたが、花屋の方々が真剣に聞いてくれたおかげで、めげずに数十件と回ることができました。そして、ある花屋で私を雇ってくれることが決まりそうになり、私は有頂天に……。ところが1週間たっても話が進まず、連絡をしたところ、やはり私の語学力ではお金は払えないと言われてしまいました。多少花束やアレンジメントが作れても、コミュニケーションが取れないと力にはなれないんだと痛感。この先どうしよう、とひどく落ち込みました。……が、一年と言う短い期間で、悩んでいるヒマはありません。花屋はもう回り切った!という達成感を抱きつつ、私は生活のためにジャパレス(日本食レストラン)とモーテルのクリーナーとして働くことにしました。こちらの2店では、思いのほか外国人のお客さまが多く、英語の環境に入ることもできました。

そんな中で、以前回った花屋さんから臨時のバイトも入り、数回ブーケを作りに行くこともありました。しかし、そこでネイティブの中で働く大変さを実感。言葉はそんなに簡単には習得できないこと、友達と話すのと仕事では訳が違うと言うことを、改めて考えさせられました。そして「このままでは、私は留学で何をしてきたと言えるだろう……」と思い始めるようになったんです。そこで思いだしたのが、頑張ろうと思っていたブライダルのアンケート。遅ればせながら、私はアンケートを書いてもらうことをスタート。最終的には目標の半分しか集まりませんでしたが、帰国後の就職活動に少しは役に立つんじゃないかという自信を得ることもできました。

そして留学生活も後半。暮らしていたフラットが大好きだったので、同じ街に7カ月もいましたが、そろそろ出てみようと考えました。留学の最後は、ヴィンヤード(ブドウ園)で働くことになりました。仕事を探すのが大変な中、仕事先を見つけてくれたのは最初にお世話になったホストファミリーでした。本当に何から何まで感謝です。新しい町では、早朝から日が暮れるまで働きっぱなし。自分との戦いでもありました。でもこの最後の収入で、帰国前の旅行を楽しみたかったので、ひたすら耐えました。耐えられたのも、一緒の宿で暮らしていた友人たちがいたからだと思います。

ヴィンヤードでの仕事は予定していた期間よりも1カ月短かったため、すべての予定を早め、11カ月でニュージーランドを出国。帰りは自分の英語の集大成として、オーストラリア、タイ、ラオスを一人で旅行。また一回り大きくなって日本に帰国しました。

そして日本へ、新たな夢も発見!

さて帰国してから、私は2ヶ月半で実家がある北海道から、就職のため沖縄へと渡りました。早い!と言われますが、私にとっては2カ月で十分。自分に貯蓄がないので余裕もないせいか、誰かに養ってもらうなんて気持ちが落ち着かなかったのです。まして時間が空くほど、働く気が失せていきそうな気がして……。行動力があることが、いいことか悪いことかはわかりません。ときに暴走や焦りが生じるし、何事もタイミングが大切です。

仕事は、もちろんブライダルの仕事。向いているかは向いていないかはわかりません。ただ私はブライダルの仕事以外は、志望動機がかけなくて。本当は北海道で働きたかったのですが、めぐり会うことができず、ならば一度北海道を出て力をつけて戻ってこようと決めたんです。実は、東京、神戸、京都、沖縄……怒涛のように履歴書を送ったはいいものの、そこからどう対応していいかわからず、一度しかお会いしたことのないエストレリータの鈴木さんに何度も相談をしてしまいました。本当に感謝しています。

沖縄はかなり遠いこと、給料が低いことなども考えました。しかし、今の時代にこうして職を得られること、まして自分のやりたい仕事に就けるだけでありがたいことですから、しばらくはやってみようと思います。そして働いている間に、ブライダルプランナーの資格をとって、いつか北海道に戻りたいと思います。

それから前職では、同世代の先輩たちがいました。私は彼女たちに30代になったら、みんなで花屋を始めないかと持ちかけました。結婚している人もいるし、この先どうなるかはわからないけれど、それもまた夢のひとつとして、いつかは雇われではなく自分でお店を開けたらと思います。みんなの得意分野もそれぞれあるし、私は言いだしっぺでもあるので、これからは経営についても勉強していこうと思っています。でもその前に、今度は世界中の友達に再会の旅を計画中。……お金を稼ぐのが大変ですね。

日本に帰ってきてからも、こんなに向こうで出会った友達が恋しいだなんてびっくりです。本当に彼らには、また会いたい。それはもしかしたら、私が完璧に英語を理解していないからかもしれません。だからこそ、わかりたいという気持ちがあるのかな。もちろん、日本の良さ、日本語の美しさを知ることもできました。それから、人間はたくさんいて、それぞれみんな人生があるということも知りました。私もたとえ自分の選ぶ道が反対されても、いつか認めてもらえるように生きていきたい。そして、その道を選んで良かったと心から思えますように……。

吉田彩香さん
名前 吉田 彩香さん
渡航先 ニュージーランド
渡航期間 2008年9月~2009年9月
渡航目的 世界中に友達を作るため