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先輩メッセージ / Message22:チアリーダー 中山麻紀子さん

アメリカの女の子にとっての憧れの存在、チアリーダー。今回は、本場アメリカのNFLのチアリーダーの経験を持つ中山麻紀子さんにインタビュー。オーディションを勝ち残りチアリーダーの座をつかむまでの道のりや、ビジネスにまで応用できるチアの精神について、たっぷりお話を伺いました!

PROFILE

中山麻紀子(なかやま まきこ)

専修大学在学中にチアリーディング部に入部。大学在学中にオレゴンに留学し、オレゴン大学DUCKSチアリーディングチームにてアシスタントとしてチアを学ぶ。大学卒業後、オンワード樫山に入社し、オンワード樫山アメリカンフットボールチームチアリーダーとして活動。2002年4月、NFLワシントンレッドスキンズチアリーダーズオーディションに合格。2005年パ・リーグ、千葉ロッテマリーンズチアパフォーマー「M☆Splash!!」ディレクターなどを経て、現在、関東を中心にジュニアチアスクールを経営。ビジネスマン研修チアリーダーシップの講師としても活動。

中山さんがチアリーディングに出会ったのはいつのことだったのですか?

高校生のときに、野球部の応援のためのチアリーダーの数が足りないからやってほしい、と同級生から言われたのがきっかけです。もともと女の子が少ない学校だったので、「他の部活が忙しくなくて、踊れそうな女の子」にいろいろと声をかけていたみたいですよ。でも最初の頃は全然踊れないし、動きもカクカクで。「ロボット」というあだ名を付けられながら、野球応援をしていました(笑)。

もともとダンスなどの表現は得意だったのですか?

いえいえ。それまで私は自然愛好会、略して”自愛”と呼ばれる地味な部活に所属していて、あまり表に立つような子ではなかったんです。でもチアを始めて、人を応援することの楽しさを知ったら、もうやめられなくなり、それで進学した専修大学でもチアリーティング部に入りました。

その後、大学でチアの勉強のために留学もされたそうですが。

はい。2年生の時にサマーキャンプに参加したこともあるのですが、本格的な留学は大学3年のときですね。さて就職活動をどうしようか、と考えていたときに、母が「マキちゃん。国際派になりたいと言っていたけど、留学はしなくていいの?」って言ってくれて。それで思い切って留学することにしたんです。留学先は、スポーツが強く、チアリーディング部も有名なオレゴン大学へ。もちろん内心は「チアリーディングを勉強したい」という思いがあったのですが、それを両親に言ったら行かせてもらえないので、表向きは語学留学ということにしていました。

オレゴン大学ではチアリーディング部に入ったのですか?

いえ、チアリーディング部に入るにはトライアウトと呼ばれるオーディションがあるんです。それに受かると、チームに入ることができるというシステム。オレゴン大学には成績が悪いと活動参加出来ない、結構厳しい規律がありました。私はオレゴン大学付属の英語学校への留学だったので、オーディションを受けることさえできませんでした。でもせっかく留学までしたわけですから、あきらめることはできません。毎日練習場に通って、コーチに交渉して、ようやくビデオ撮影や水くみなどの雑用をするアシスタントとして練習に参加させてもらうことになったんです。最後の方はメンバーから「マキも1回くらい本番に出した方がいいんじゃないか」と言う話も出たのですが、結局、試合に出ることはありませんでしたね。ただオレゴン大学のマスコット、オレゴンダックの着ぐるみには1回だけ入ることができました。(笑)

当時感じた、日本のチアと向こうのチアとの違いがあれば教えてください。

専修大学のチアリーディング部は、チャンピオンシップで1番をとるために、みんな死に物狂いで練習をしていました。上下関係も厳しかったし、かなり体育会系の部活だったんです。ちょっと間違っただけでも、「ごめんなさい!」と謝る雰囲気で、どこかピリピリしたムード。反対にオレゴン大学のチアリーディング部は、みんな笑顔でほんわかしていました。ダンスを間違っても、コーチは「That’s OK !」と言ってくれる。そういう雰囲気の中で練習しているから、みんな自然なスマイルが出るし、演技ももっといいものになる。そこが一番の違いですね。日本のチアは辛いのを我慢しているのが見え見え。それに対してアメリカのチアは、辛いという感覚さえない雰囲気でした。

留学期間はどのくらいだったのですか?

1年間です。最初大学の教授にそれを言いにいったときは、「ま、遊びに行くようなものですね」って言われたんですよ。その時は、イジワルな先生だな、と思ったんですけど。実際に行って帰ってきて「こういうことを得てきました!」と報告しに行ったら、教授も「遊びじゃなく帰って来たんですね」って言ってくれましたよ。

では、海外で得た「こういうこと」とは?

やっぱりそれは本当のチアスピリッツについてです。本場のチアに触れることで、応援する気持ちそのものについて考えたり、チームワークをどうやって築きあげればいいのかを考えたり。そのときはこう!という答えは出なかったけれど、何かが違うというのは感じることができました。日本人ももっとチアを楽しめるはず、というイメージ的なものを学ぶことができたと思います。

語学は苦労しませんでしたか?

私の中では、通じていないという意識はなかったんじゃないかな。通じてるでしょ?みたいな。でも帰国して3年後くらいに、またコーチを訪ねたときには、「最初は何を言っているか、まったくわからなかったのよね」って言っていました(笑)。……きっと熱意は伝わっていたんだと思います。

大学卒業後はオンワード樫山に入社されたそうですが、これはなぜですか?

オンワード樫山にはフットボール部があって、チアリーダー採用があったんですよ。会社では経理として電卓をたたく仕事をして、仕事後にチアリーダーの練習をするというスタイルですね。だいたい9時から5時まで働いて、7時からの練習に参加して。ただし試合がある日には早退もできました。たぶんこの当時としては、オンワード樫山が一番優遇されていた社会人チアリーダー。入社試験も難関だったと思います。

合格した決め手はどこだと思いますか?

人事部長が「後ろ姿だ」と言っていました。みんなの後ろ姿を見て採用していると言っていましたよ(笑)。

そのときはまだ本格的に海外でチアをやろうという気持ちはなかった?

なかったですね。それにオンワードのチアは、今まで私がやってきたスタイルとまったく違っていたので、別の世界に入ったという感覚だったんです。学生時代に私がやっていたチアリーディングは人を持ちあげたりするもので、そこには女らしさのようなものは二の次でした。ところがオンワードのチアのスタイルは、どちらかと言うと「ダンサーのお姉さん」というイメージ。まったく違うものだったので、それを学びとるのに必死だったんです。