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シリーズ「意見・異見・偉見」

日本の凋落の原因とは

先程伺った国民皆保険制度の行き詰まりもそうですが、今の日本には閉塞感が漂っています。北原先生は、この原因はどこにあると思いますか?

私はバブル崩壊後も2000年までは、日本もなんとかそれなりの位置に踏み止まっていたと思います。国民一人当たりGDPをはじめ、多くの経済指標が世界ランキングの5位あたりだった。しかしそれから10年が経過した現在、ほとんどの経済指標において日本の地位は20位前後。GDPにおいて人口が多い中国に抜き去られるのは当然として、一人当たりのGDPに換算しても世界の15位以下、はっきり言ってG8どころかG20に留まるのも難しくなりつつあります。

では、なぜこんなに凋落してしまったのか。私見ですが、私は平成7年以降の医療と社会保障費の引き締めが原因なのではないか、と考えています。社会保障の引き締めが深刻な社会不安を引き起こし、高齢者が自己防衛のために不要な物を買わなくなったんです。それなのに、物が売れないのは不景気だからだ、と誤解して全ての企業が値下げ競争に走った。おつまみ一皿100円だの、TVや電子レンジが10000円だの、どう考えたっておかしいでしょう。物が売れないのは不景気だからではなくて多くの人が目覚めてしまったから。自分の身は自分で守らねばならない、自分が本当に必要とするものは自分の価値基準で決める、とね。だからどんなに値段を下げたところで売れ行きは回復しない。結果として企業業績が悪化して雇用は失われ、若い人の給与は下がった。現在大学卒業者の30%が正規雇用にありつけず、また運良くありついた場合でも、この10年間で平均給料は15%も下がっているんです。今では驚くべき事に、6000万人超とも言われる労働人口の3分の1、2000万人が年収200万円以下で、苦しい生活を強いられている。生活保護費が年間210万円の日本においてですよ。経済的に余裕がある高齢者は自己防衛のために物を買わず、結婚のため、子育てのために本当に物を必要としている若者にはお金が回って来ない、だから市場はますます冷え込みデフレスパイラルに陥ってしまっているんです。

先生は、医療費や社会保障費は引き下げるべきではない、と。

ええ。現在、日本では、医師不足、看護師不足が問題視されていますね。これもつまるところ、医療財源の不足が原因なんです。世界で最も医者が多いと言われているイスラエルやロシアでさえ、人口10万人あたりの医師の数は7~800人と思いますが、現在日本では、医学部1学年の総定員数は9000人強。近年の出生数は年に110万人程度ですから、人口当たりで考えれば世界のどの国より多くの医師を養成していることになる。看護師にいたっては毎年7万人強、それに加えて介護福祉士が2万5千人養成されているので、なんと国民10人のうち1人が看護師、介護福祉士になる計算です。これは世界的に見ても異常に多い。にもかかわらず、医師不足、看護師不足が問題になるのはなぜか。

答えは明白です。はっきり言って、待遇が悪すぎるんです。たとえば介護福祉士は国家資格ですが、実際に働いているのは有資格者のうち半分以下です。希望を持って社会に出ても給与が安いので結婚などを機会に他の仕事に移らざるを得ない。介護福祉士養成校の毎年の定員は2万5000人ですが、昨年は1万3500人しか入学していません。ほとんどすべて合格させているのに、この数字ですよ。折角介護福祉士の学校に入って資格を取っても、将来食べていけないことを知っているから誰も受験しない。それなのに国家試験や養成校は存続していて無駄なお金を浪費している。何かおかしいと思いませんか。

もうひとつ言いましょうか。先日、私は文科省から請われて、委員会で医学部の定員を増やすべきかどうかについてコメントして来ました。私の答えはノーです。医学部の定員は先ほどお話したように現状でも決して少なくありませんし、ましてやこれ以上増やすだなんて到底考えられません。現在、東大の医学部定員は1学年当り100人ですが、一昨年マッキンゼーが医学部生を対象に就職説明会を行ったところ、30人の学生が会場を訪れたそうです。実際、一昨年私の病院で研修を受けた東大生が今春卒業を迎えますが、彼の就職先はゴールドマンサックスです。多大な国費を費やして育てられた東大の医学生が、医師になろうとしていない。彼らにしても、明るい未来を思い描いて医学部に入学したのに、色々学ぶうちに医者としての人生に夢も希望も持てないことが分かってしまい、結局他の人生を選択せざるを得ないわけですから、あまり幸せとはいえない。

昨年の4大商社の常勤職員の平均年収は1260万円だそうですが、不景気のため一昨年に比べて250万円減った結果がその数字だそうです。新人から窓際族まで全員の年収の平均が1260万円です。一体、上の立場の人はいくらもらっているんだ、という話ですよ。その上海外の支社長クラスになれば年間家賃1000万円を超える社宅やメイドの費用、海外赴任手当てまで支給される。別の例を挙げればメガバンクの支店長代理は年収1500万円ほどでしょうか。それだけの給料を払っても、メガバンクの去年の純利益は合計1兆5000億円にものぼっている。それだけ利益があるのであれば、なぜ振込手数料を百円にしないのか。非常に反社会的な話ですよね。一方24時間ほとんど休みなく働いて、患者の生死に責任を持っている医大の教授が、これは50歳台の私の友人の場合ですが1200万円の給料しかもらえない。ちなみに私が30年前に医者になったときは、月収は7万円で、最初の1年間は2日しか家に帰れなかった。多くの善意な医者はそんな条件の中で育ってきたんです。人は給与のみで仕事を選ぶわけではありませんが、いくら努力しても社会がきちんと評価してくれない、マスコミにいたっては未だに医者が稼ぎ過ぎだの、不勉強ゆえに医療事故を起こしているだのと現実にそぐわない批判を馬鹿の一つ覚えのように繰り返している。多くの医者がそういった社会に嫌気がさしていることは理解されるべきと思います。

せっかく養成した医学部の学生が、待遇の悪さゆえに医者になろうとしない。それでは、と医学部の定員を増やし、それなのにそれに見合った総医療費の増額は認めない、というのであれば医者の待遇は更に悪くなり、やがては誰も医者になろうとしなくなる、少なくとも優秀な人材はね。要するに現状の医師不足、看護師不足は今まで堪えに堪えてきた医療者の反乱なわけで、それを理解しない政府官僚や医師会、有識者と称する人々が判断を誤れば日本の医療は本当に崩壊し、空洞化しかねない。