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先輩メッセージ / Message23:ハーバード・ビジネス・スクール 日本リサーチ・センター長  佐藤信雄氏

興銀やエグゼクティブ・サーチ・ファームを経て、現在はハーバード・ビジネス・スクール日本リサーチ・センター長として活躍している佐藤信雄氏。自身もハーバード・ビジネス・スクールのOBである佐藤氏に、ハーバード・ビジネス・スクールの魅力やビジネス留学の意義についてお話を伺いました。

PROFILE

佐藤信雄(さとう のぶお)

1978年、慶應義塾大学経済学部を卒業し、日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)に入行。企業派遣によりハーバード・ビジネス・スクールに留学し、1982年にMBAを取得。ロンドン勤務を含めて主に資本市場関連の業務に従事。その後、世界5大エグゼクティブ・サーチ・ファームであるEgon Zehnder Internationalに15年勤務し、その間10年間パートナーとしてPEファームを含む金融機関を主なクライアントとしてコンサルティング業務に従事。 2009年8月より現職。

まず、ハーバード・ビジネス・スクール(以下HBS)日本リサーチ・センターがどのような機関なのか教えてください。

私どもの組織には、大きなミッションがふたつあります。ひとつは、ボストンのHBSにいる教授陣が、日本企業に関するリサーチ活動や教材としてのケースを作りたいというときにお手伝いをする仕事。ふたつめは、HBSのプロモーションです。ひとりでも多くの日本人がHBSのMBAに留学するようにプロモーションしたり、HBSの企業幹部向けのエグゼクティブプログラムを宣伝したり。あるいはこういう形でインタビューに応じて、HBSに関して発言する場を持つようにしたり。広報活動的なことも私たちの仕事です。

仕事のメインとなるのは、前者のミッション。ただ私たちは、あくまで教授陣のお手伝いをするという立場ですので、勝手にケースを作ることはできません。まず先生が「ある日本の企業を題材にして教材を作りたい」と思わないと、仕事にならないわけです。しかしながら、今の日本というのは、HBSの先生方が興味を持ちにくい状況なんですね。先生方が今注目しているのは、インドと中国。そしてヨーロッパは特に興味を持たずとも、同じ英語圏なので自然と情報が入って来ます。ところが日本に関して言えば、先生の元へ英語で入ってくる情報というのは、非常に少ないんです。ですから我々としても、日本にもこういう面白い会社がありますよ、と積極的に情報発信していく必要がある。確かに日本という国は、マクロレベルで見て行くと、面白みのない国です。財政は赤字だし、人口は減少の一途。でもミクロレベルで見て行くと、まだまだ面白い会社はいっぱいあります。先生方はそれを知らないだけですから、そこは我々から発信していかなくてはいけない。そうした情報発信も仕事の大きな柱ですね。

どういった形で情報を発信されるのですか?

日本で面白い会社を見つけたら、できるだけインタビューに行くようにしています。幸い、ハーバードの名前は皆さん知っているので、どんな企業のシニアの方でも結構会っていただけるんです。そこでシニアの方たちにお話をうかがって、簡単なレポートを書いて、興味を持ちそうなHBSの先生に個別にアプローチしています。そうでもしないと、先生方になかなか日本に対する興味を持ってもらえないんです。残念ながら、これが今の日本の置かれている状況なんです。

リサーチ・センターは各国にあるのですか?

はい。アメリカ以外では、日本、アジアパシフィックを見る香港、インドを見るムンバイ、ヨーロッパを見るパリ、中南米を見るブエノスアイレスの5か所にあります。それから、アメリカではボストンのキャンパス以外にシリコンバレーにリサーチ・センターがあります。世界の各地域をカバーできる地点にリサーチ・センターを作って、コンテンツをグローバル化するというのがHBSの戦略なんです。

例えばフランスのビジネススクールであるインシアードは、シンガポールにもキャンパスを作っています。彼らは自国以外にキャンパスを作ることで、世界中の学生を集めようとしています。しかしながらHBSでは、そうしたことはやっていません。MBAのプログラムを提供するのは、ボストンのキャンパスでだけ。しかしコンテンツはしっかりグローバル化して、世界中から優秀な学生を集めようとしているわけです。そしてそのコンテンツのグローバル化をサポートするのが、我々リサーチ・センターの仕事です。

ありがとうございます。それでは佐藤センター長が、どのようにして今の職に就いたのが順を追ってお話を伺いたいと思います。まず佐藤センター長が、海外に興味を持つようになったきっかけを教えてください。

僕が最初に海外を経験したのは、高校2年の時でした。父がたまたま仕事の関係で香港に転勤することになり、僕もついていくことになったんです。それで英語がほとんどできない状態のまま、香港のインターナショナルスクールに通うことに。そして、そこが非常にしんどかったんですよ(笑)。一般的に、日本人の高校生が留学する時には、きちんとそのための準備をして、試験を受けて、学校に入ります。要するに、英語の能力がある上で留学しているわけです。しかしながら私の場合は、父の仕事の関係でたまたま行くことになったというだけ。当然、英語もできません。ところが学校では、アメリカ系の学生はもちろん、中華系の学生もみんな英語を普通にしゃべっている。僕は日本人ですが、見た目は中華系の学生と変わらないし、もちろん英語が話せるだろうと思われるわけです。ですからコミュニケーションには非常に苦労しましたね。それに授業も英語だし、ついていくのも大変。何でこんなところに来ちゃったんだろうって、そればっかり考えていました。ただ、そこで非常に悔しい思いをしたおかげで、大学では英語をきっちり勉強しようと思うようになったんです。

それで大学は慶応の経済学部に進んだのですが、大学以外にも英語の学校に通って、ディベートを勉強しました。これは非常にいい勉強になりましたね。英語そのものの勉強にもなるし、論理的に物事を考える習慣も身につく。それから説得力を持って話をする訓練にもなる。ディベートで身に付けたことは、後々、HBSに行ったときにも役に立ったと思います。

大学卒業後は日本興業銀行に入行されていますが、なぜ就職先に興銀を選ばれたのですか?

大学時代は民間企業に進もうという意識があまりなくて、世界銀行のような国際機関に就職したいな、と漠然と思っていたんです。でもそれを大学の先生に言ったら、世界銀行に行くには修士課程を取らなくてはダメだということを言われて。ところが僕は修士を取る準備をまったくしていなかったんですよ。それで世界銀行は無理だという結論に。では民間企業でどこがいいか、と考えたときに、銀行が面白そうだと思えたんですよね。例えば商社では、ある部門に配属されたら、食糧なら食糧、鉄なら鉄と、ずっとひとつのことをやらなくてはいけません。ところが銀行は、営業部や審査部、調査部など、ファンクションによって分かれていて、いろんな仕事に関わることができる。ある分野の営業だった人が審査部に異動して、今度はその分野の企業を審査する立場になるということもある。いろんな観点から仕事をすることができると思ったんです。

それからもうひとつ、当時の興銀はまだまだ公共性が強い銀行だったんです。もともと興銀は、1902年に政府が設立した銀行。まだ資本市場が発達していない日本において、重化学産業が長期資金を調達するために作られた特殊銀行であり、戦前の経済成長に非常に寄与した機関でした。戦後は民間化して長期信用銀行になりましたが、それでもピュアな民間の銀行とは違って、ある種の中立性を持っていました。どこの企業グループにも属していないし、ニュートラルに仕事ができると思ったんです。

入行後、HBSに進まれた経緯を教えてください。

入行後、国際業務の本部に配属されて、そこで興銀に留学制度があると知ったんです。当時興銀はとても恵まれていて、入行して1年目で社内の留学試験を受けて、2年目から留学することができたんですよ。でも僕は、さすがにそれは早すぎると思ったので、入行して2年目に留学試験を受けることにしたんです。

数あるビジネススクールの中からHBSを選んだのは、一番授業が厳しいと聞いていたからですね。やはり2年間仕事を休んで学校に行くのだから、一番ハードなところに行かないと日本で仕事をしている皆に申し訳ないという気持ちがありました。それで試験を受けたら、たまたま受かったというわけなんです。

HBSでは、どんな授業が行われていたのですか?

HBSの授業は、すべてケース・スタディ。先生が一方的に講義をする授業とは大きく異なります。使われる教材は、ある企業の現実の事例で、業界概要や経営課題などをまとめたもので、必ず主役がいます。まず学生たちは授業の前にケースをじゅうぶんに読みこんで、ふたつの物事を考えておかないといけません。まずひとつめは、その企業の問題の本質がどこにあるのか。そしてふたつめは、主役としてその問題を解決するにはどうすればいいのか。あなたが社長だったらどうするか、あなたが部長だったらどうするか、あるいは部下をどう動かすか……。ケースには、そういったシチュエーションも詳細に書かれています。そして授業では、教授のファシリテートのもとでその問題や解決法について生徒の中でディスカッションしていきます。

この授業の何が大変かと言うと、まず量が非常に多いんです。毎日3つのケースを扱うのですが、ひとつのケースを読むのにだいたい2時間くらいかかるんですよ。さらにその問題点を考えるのに最低1時間はかかるので、ひとつのケースにつき3時間はかかってしまう。それが3つあるわけですから、授業の予習だけで最低9時間はかかる。もう睡眠時間を削るしかありませんでしたね。

それから予習だけでなく、授業もなかなかヘビーでしたよ。1年生のときは900人の学生が90人の単位の10のセクションに分けられるのですが、みんな授業になるとものすごい勢いで手をあげるんですよ。と言うのも、HBSの科目の成績は、授業での発言が50%、ペーパーテストが50%の割合で決まるんです。授業で発言しなければ、テストでよほどいい点数をとらないと「不可」がついてしまうんですよね。さらに厳しいことに成績は相対評価で、すべての科目において各セクションで必ず生徒の10%が不可になることが決められている。だからどんなに自分が頑張っても、他の生徒がもっと頑張っていれば、「不可」になる可能性があるんですよね。しかも「不可」が一定数以上になると、落第ではなく放校処分。もしくは非常に厳しい条件付きで、2年に進級ということになります。これは日本人にとっては、とても厳しい内容だと思います。まず英語というハンディもあるし、カルチャー的にも難しい。日本人は人が議論しているときに割って入って議論するのも、反対意見を言うのも苦手ですからね。僕がHBSにいたのは30年くらい前ですけど、当時は900人のうち5%が放校処分、日本人は倍の10%が放校処分になっていました。