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先輩メッセージ / Message19:作家 本田健氏

著者『20代にしておきたい17のこと』の中に、人生最大の失敗をすること、とありましたが、健さんにとって最大の失敗は何だったのでしょうか?

世間的な感覚で言えば、離婚だと思います。23歳のときに結婚して、25歳で別れました。理由は僕が自分のことをわかっていなかったということ、コミュニケーションがとれていなかったこと、それから相手を尊重することができなかったこと、この3つですね。

それで「自分のどこが悪かったのだろう」と考えたところから、自分のコミュニケーションのズレや精神状態を見直すきっかけにもなりました。これは面白いメカニズムなのですが、アルコール中毒者の親って子供にすごく影響を及ぼすんですよ。アルコールに走らなかった子供も、どこか脅迫行動的なパーソナリティになる。たとえばチョコレート中毒になったり、カフェイン中毒になったり、それから一心不乱に仕事をしたり。ちなみに僕は最後のタイプでした。たとえば僕は学生時代、英語の勉強をしていたときには、24時間英語のテープを聞いていました。クリスマスの日に、当時付き合っていた彼女に「君の望むことなら何でもするから言ってほしい」と言ったら、「お願いだから、デートのときだけは片耳にイヤホン入れるのをやめて」って(笑)。

要するに僕は、そういうことも自分が成長するためには当然必要だと思っていたんです。それがある意味、離婚と言う形で否定されて……。なんで成長しなくちゃいけないんだろう、なぜ世の中の役に立ちたいんだろうということを、ぐるぐると考えて。結局、僕は父親との関係の中で自分のことを無価値だと思っていて、誰かに何かを提供しないと生きる価値がないと思い込んでいたんです。そして、そのぐらい自分のことが嫌いだったんだということに、初めて気づきました。それでまずは自分のことを好きになることにエネルギーを注ごうと決めました。自分に今必要なのは、自己投資したり学んだりということじゃないだろう、と気づいたんです。ですから25歳から28歳くらいまでは、自分を癒すことにすべてのエネルギーを注いでいましたね。

2年前まではボストンに住んでいたと言うことですが、ボストンという町を選んだ理由はなぜですか?そして、まだ日本に戻って来た理由を教えてください。

ボストンに移住したのは、娘の学校のためですね。幼稚園に入る時もそうだったのですが、東京に住んでいるときに、全国各地の幼稚園を見ました。その中で長野に一番いい幼稚園があったので、そこで4年間生活をしました。そして今度は小学校にあがるというので、世界中の学校をいろいろと調べました。ボストンにいい学校があったので、家族そろって移住することになりました。

日本に戻って来た理由は、いろんな偶然が重なったためです。まずビザの更新がうまくできませんでした。きっともう少し頑張ればできたのでしょうけど、自分の中で「これは何か違うな」という予感がありました。ほとんどやりたいことは今までできていましたから、うまくいかないときというのは、何か大事なメッセージがあるときだと思うようにしています。それでアメリカの荷物を巨大なコンテナに積んで、日本に帰って来たんです。そしたら案の定、数か月後にリーマンショックがありました。あのままボストンにいたら、4、5千万の損失があったと思います。それがほぼ無傷で帰って来たのだから、運が良かったと思っています。

それからもうひとつ。日本に帰らず、アメリカにいたら、僕たちだけがハッピーなまま。豊かな生活を送っているけれど、誰も豊かにはしていません。それでこっちに帰ってきて、東京でサドベリースクール、アメリカと同じやり方のスクールをはじめることにしたんです。それから最近では、アメリカの家と同じくらいの建て坪300坪くらいの建物を買って、研修センターをはじめました。アメリカでは僕ら3人が暮らしていただけですが、こっちでは毎月何百人と言う人が使ってくれています。同じ不動産を買うんだったら、全然こっちのほうがいいじゃないですか。自分が日本にいる場合と日本にいない場合を比べたら、日本にいるときにやれることがものすごくたくさんあることに気づきました。

次のフェーズに移ったということなんでしょうか?

僕たちは、個人的にはそんなに贅沢しているわけではありません。今日はいているズボンだって、山梨のスーパーで580円で買ったものです(笑)。家族3人で暮らす分にはあまりお金はかからないし、投資だけでもじゅうぶんまかなえます。それに今は本も年間4、50万部ずつ出ているので、印税も入ってきています。そういう意味では、その収入をどうやって世の中に還元できるのか、というシーンになっています。

今から日本は冬の時代が30年続くと思いますが、その冬の時代でも、心配しない、慌てないというようなメッセージを発信する奴は必要だと思うし、僕もその一人になろうかなと思っています。今のビジネス書を見てみると、基本的に人を焦らせるようなことばかり書かれているように思います。「能率が悪いぞ」とか「頑張れ」とか、そういうことばかり。一言で言えば、今のままじゃダメだ、というメッセージばかりですよね。でも僕は、今のままからスタートするということもできると思うし、そういうメッセージを発信する奴がひとりくらいいてもいいんじゃないかと思っています。

しかもビジネス書を書く人って、だいたい成功している人ですから、言ってみれば「できる」人たちなんですよ。私はできる、俺はできる、という人が書くから、多くの人は自分にはできない、と落ち込んでしまうと思います。だから僕は、どんな人でも必ずできる、というところを伝えたいと思っています。そういう意味で、僕はまったく本を書いたことのない状態から、作家として30何冊書いてきたわけですから、才能がなくても好きだったら結果は出るということはある程度証明できたと思っています。

もともと書くことはお好きだったのですか?

そうでもないです。だから「そんな才能どこにあったの?」と言われても、「いやぁ、なんか出てきたんだよね」って(笑)。好きだったら出てくるんですよ。それに僕は「好きなことをやっているだけでも年3000万は稼げる」と言ってきましたから、それはやってみないことには説得力がないじゃないですか。それで何がいいかなと思って、探していたわけなんです。コンサルティングも考えましたが、僕の父親もやっていたので、ずるいと言えばずるいですよね。それに「父親に教わったんだろう」と言われるのも悔しいですから。だからビジネスではなく、まったくやったことがないことで好きなことを探したんです。そしたら本くらいしかありませんでした。

僕はどんな人でも、才能は眠っているし、その人が好きなことをしっかりやり遂げて行ったら、必ず結果は出ると思っています。そして実際にいろんな人を助けてみて、みんな年収が何千万になってきたと言っているし、人によっては会社が上場したりもしています。だからどんな人でも可能性はあるというのは、真実だし、実績もあります。結局「そうは言っても自分は……」と思う人ができないだけですよ。

あの人は特別だ、と思うような人はできないということですね。

そうです。逆に「ひょっとして自分でも……」と思う人は変わっていけるんです。要するに、人はポップコーンのようなもの。弾ける人から弾けていけばいい。弾けない人は、ずっと豆のままで固まっていて、どんなに高温でもダメ。でも人によっては、ちょっと励ましたり、揺さぶったりしてあげるだけで、ポーンと弾けて行く。僕はそういう人たちを応援していきたいと思っているんです。また、自分の大好きなことを見つけ、それを仕事にして、幸せで豊かになっていく方法が学べる場があったらいいなと思い、ライフワークスクールを始めました。

著書の紹介
『20代でしておきたい17のこと』
『30代でしておきたい17のこと』

本田さん自身の経験や、数々のメンターたちの言葉から導きだした「やっておいたらよかった」ことを綴った人生指南書。たとえば20代なら「一流のものに触れる」「一生つき合える親友を見つける」。30代ならもう少しシビアで「『すべてを手に入れること』は不可能だと知る」「両親とお別れしておく」など。これからの人生を豊かに生きるための17項目が、やさしく語りかけるような言葉で綴られています。人生に思い悩んだ時、新しいことをはじめたい時、そっと開きたくなる本です。