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先輩メッセージ / Message19:作家 本田健氏

留学中も帰国後もたくさんのメンターを探し、メンターに会いに行っていたということですが。人脈を作るときに、心がけていたことはありましたか?

やはり相手が一番喜ぶ情報、相手が面白そうと思うものを持っていったりすることは大事です。それから誰かに会う時には、誰かに紹介してもらうと成功しやすいですね。たとえば、トップクラスの政治家に話を聞きます。そして最後に「すみません。ひとつだけお願いがあります」と言うんです。それで相手が「何だい?」と言ってきたら、「私は若造ですが、将来はこの国、この世界のために働きたいと思っています。そのために絶対に会っておいたほうがいい人はいませんか?」と言います。するとたいていの先生方は「あいつは会っておいたほうがいい」と教えてくれるんですよね。と、そこですかさず「大変あつかましいのですが、今、その方にお電話いただけませんか?」と言う(笑)。そうやって、その場で電話をしてもらう。電話がかかってきた相手も、自分の師匠のような存在から「面白い若者が来ているから、今度メシでも食わせてやってくれ」と言われるわけですから、それは断れませんよね。と同時に、そこまで言わせる若者なんて面白そうじゃないですか。もう紹介の時点で、「こいつはただもんじゃない」と向こうは思ってくれるんです。22、23歳というところから入って行ったというのもあって、そこはティーアップされているんですよ。

健さんが自ら「この人に会ってみたい!」と思う場合、その基準は何だったのですか?

まずは聡明であること。それから世の中の先を見通す力があって、国際的に通用するような人であることです。ですから僕は、若い時にはトップクラスの通訳の方のところでカバン持ちをして、いろんなところに連れ回してもらって、いろんな人を紹介してもらうということもやっていました。

何と言っても、日本人は25歳までの人間には優しいんです。そして基本的に26歳以上はあんまり相手にされない(笑)。僕は20歳の時点で、25歳以下なら多少のことは許してもらえるということを聞いていましたので、「自分の寿命は25歳までなんだな」と心に留めて、いろんな人に会っておこうと決めていました。ただ、それは人脈をビジネスにつなげるとかそういうことではなく、人としての生き方、その世界を極めた人がどういう考え方をするのか知りたいと気持ちからですよ。たとえば、ノーベル賞を獲った人ではなく、ノーベル賞の選定委員に会って、ノーベル賞のしくみを知ったり。政治家の方から、首相の決まり方や派閥の力学を教わったり。そんなことを21~24歳のときにやっていましたね。

恐ろしい若者ですね。

恐ろしいと言うか、将来、役に立つであろうことを聞いていただけですよ。やっぱりビジネスがある程度成功しないと、この世の中では説得力がないですから。ある程度のお金を作る力が必要だし、お金を動かさないと信用にもなりません。ですから僕は、30歳までに一生食べて行ける財産を作って、30歳からは世界のために働こうと思ったんです。それで23歳に会社をはじめて、いろいろありましたけど、30歳でお金を作ることを達成することができました。ちょうど娘が生まれたことを機会に、4年間はセミリタイアをして育児に専念したんです。

「なぜセミリタイアを?」とよく聞かれるんですけど、60、70歳で成功している方々に「あなたの人生で一番後悔しているのは何ですか?」と聞いたときに、一番多かった答えが子育てだったんです。「子供ともっと一緒に過ごしたかった」。どんなにビジネスで成功した人でも、みんなそう言うんです。それからもうひとつは「海外に住んでみれば良かった」ということ。この2つは本当によく言っていました。ということは、大成功した人が悔やんでいるこの2つをやったら、少なくともその部分に関して後悔することはないと思いました。それで子育てを4年間やって、同時に3年間、アメリカにも住んでみました。要するに、人が後悔しそうなことを前倒ししてやったということです。

そうやって、いろんな方たちのアドバイスを素直に受け入れることができたのはどうしてですか?

いや、僕は全然素直ではないんですよ。ちゃんと批判的にも聞いています。たとえば、ある有名なビジネスの方に弟子入りしようとして、「どうすれば成功できますか?」と聞きましたら、彼は「家族のことを忘れなさい」と教えてくれました。その社にずっといる方にちょっと聞いたら、「この会社は人がいつかないんですよ」と言っていました。人がどんどん離れて行って、愛人は何人かいるけれど家族とはボロボロで、でも社会的には認められて雑誌に出ていたりして……。僕は「えー!そんなの嫌だ」って思いました。この先生についたら、ビジネスのことはわかるかもしれないけど、家庭はボロボロになるかもしれない。それでいいかと言われたら、もちろんイヤですよね。

僕はそこの価値基準は高かったです。お金だけある人はたくさんいます。でも僕は、心の平安を保って本当に自分のやりたいことをやって、才能を社会と分かち合って、経済的にも社会的にも結果を出している、そんな人がいいと思っていました。

メンターの方に違和感を覚えたときは、それ以上に傾倒することはなかった?

そうですね。本にも書きましたが、やはりメンターはグレードアップする必要があると思っています。たとえば野口英世だって、若い頃は血脇 守之助にお世話になって、伝染病の研究をはじめたときには北里柴三郎について、そしてアメリカではまた他の先生について……。そうやって学びが高度になっていくに連れて、先生も変えていったでしょう? それに自分の会社の売り上げが十億円になったのに、一億の会社を経営している人をメンターにしたって学ぶことはできないじゃないですか。そういった意味で、その人のレベルが高くなればなるほど、メンターをグレードアップしていかなくてはいけないと思います。

若い頃にはアメリカだけでなく、フィリピンにも行かれているそうですが。何かアメリカと違ったものを感じることはできましたか?

アメリカは世界でも裕福な国なので、その真逆の環境を知っておきたいと思ったんです。それでフィリピンの中でも一番お金がないと言われていたネグロス島のスラムでボランティアをやりました。ネグロス島の中には世界で一番厳しいと言われる労働環境がいくつかありまして、石炭の坑道での労働と、それからさとうきびプランテーションの労働。僕はそれを3日間やりました。世界で一番過酷な労働ってなんだろう。それを知りたかったんです。

これまでは資本主義のNY、ワシントンなどの一番上層の部分の人を見てきたわけですから、そこはやっぱり世界の一番下層にいる人も見ないとバランスが悪いと思ったんです。実際やってみて、資本主義の暴力性も感じました。どうして同じ人間が分かち合って生活できないのだろうか、と思いましたよ。考えたらおかしな話ですよ。日本ではあまり実感することはないけれど、アメリカでは自分の生活圏の中に第3世界の問題が起きています。たとえば僕はボストンでは6000坪の家に住んでいたので、お手伝いさんが2人必要でした。1人は日本人、そしてもう1人はブラジル人を雇っていたんです。そしてブラジル人のお手伝いさんは、必ず自国の家族に送金していました。そう考えると、家の中でも第3世界の問題が発生している。ブラジルでは安い給料しかもらえないけど、アメリカでは高い給料がもらえる、だから送金する。

そういう問題を日本で実感することはあまりないかもしれません。ユニクロの服が安いとよく言っていますが、あれだって結局、中国の方たちがものすごく安い報酬で働いているがゆえに安く作られているわけですから。実は僕たちは、不当に買い叩いているんです。そういう意味で、中国人の人たちの給料が上がって、我々の給料が下がって、この世界が標準化していくというのが今のグローバルエコノミーの姿だと思います。と同時に、上の人たちはどんどんお金持ちになって、下の人やミドルクラスだった人たちはどんどん下にさがっていく、という現象が起きている。ここからどうやって資本主義を動かせばいいのだろう……。僕はそれをずっと20代のときから考えていました。でもお金がない人間が、資本主義がどうのこうの言っても、説得力はありません。だからとにかく自分が稼いで、お金がどうやって人を幸せにするのかを理解したうえで、初めて語れることもあるんじゃないかと思いました。

今、ちょうどお金と幸せに関する本の原稿を書いているんですが、僕は98%の人が、お金に振り回されて生きていると思います。ある講演会で、女性の方が「私は1回目のデートでフレンチレストラン、2回目は大衆居酒屋に連れて行ってもらったのですが、愛されていないんでしょうか?」と聞いてきたんです。でもこれは愛がないわけではありません。ないのは愛じゃなくて、お金なんです。

逆にお金、愛情、友情が混乱して、自分のやりたいこともお金のためにできないという人もいます。よく海外に行きたいのにお金がないからできないと言う人がいますよね。でも僕は学生時代、年に7回8回も海外に行っていましたが、ほとんど自分でお金を出しませんでした。当時はエコノミーでNYに行くのにも20万円かかるし、みんなは僕のことを大金持ちだと思っていました。でもそれは違うんです。なぜ僕がそんなに海外に行けたかと言うと、お金持ちの方やトップの方に「アメリカの事情のレポートを書くので、渡米費用を出してください」と言って、何万円ずつか集めていただけ。スポンサーをうまくつけていただけなんです。今でもそうですが、トップの方がアメリカの最新事情を知りたいというニーズは意外とあるんですよ。ですから自分のお金で海外に行ったのは、1度くらい。あとは全部報酬付きで行っていました。この場合ないのはお金じゃなくて、クリエイティビティや知恵だと思います。私たちは、知恵と行動力さえあればどんなことでもできるんです。