VOICE

先輩メッセージ / Message19:作家 本田健氏

『ユダヤ人大富豪の教え』ほか、数々のベストセラーを世に送り出している作家であり、複数の会社を経営するお金の専門家でもある本田健氏。国内外で数々の成功者たちと関わり、そして成功者たちを育ててきた本田氏が、どんな20代を過ごしてきたか。そして本田氏の言うワクワクするような生き方とはどんなものなのか……。たっぷりお話を伺いました!

PROFILE

本田健(ほんだ けん)

神戸生まれ。経営コンサルティング会社、ベンチャーキャピタル会社など、複数の会社を経営する「お金の専門家」。独自の経営アドバイスで、いままでに多くのベンチャービジネスの成功者を育ててきた。娘の育児セミリタイア中に書いた小冊子「幸せな小金持ちへの8つのステップ」は、世界中130万人を超える人々に読まれている。

また『ユダヤ人大富豪の教え』をはじめとする著書はすべてベストセラーを記録。一時ボストンで生活するも、現在は日本を拠点に活躍中。サドベリースクールやライフワークスクールなどを通して、大好きなことをして、幸せで豊かに生きるひとたちを応援している。

子供の頃はどんな少年だったのですか?

学校では非常に明るい少年でした。ただ、父親がビジネスオーナー兼アルコール中毒という珍しいパターンの人間で。月に1度、給料を払うときにしか会社に行かず、あとはずっと家にいたんですよ。そういった意味では、僕は明るい部分と暗い部分が同居している子供だったと思います。友達が遊んでいるのを見て、「みんな子供だな~」と思っているような、マセた子供でしたね。

その頃に抱いていた夢を教えてください。

父も祖父も、20代、30代で大成功して、財を築いた人間。そしてふたりとも30代後半から、お酒や女性関係といった道楽の世界に入って、それで失敗しているんですよ。だから自分は、若くして成功はしたいけれど、父や祖父とは違って家族や周りの人のためになれるような人物になりたいと考えていました。それで将来は、政治のほうに行きたいと思うようになりました。いつも「この国をどうやって良くすればいいだろうか」と考えていた不思議な子供だったと思います。

そのまま大学2年までは政治家志望で、いずれその道を行くものだと思っていました。しかし大学2年のときに、いろんな政治家…首相クラスの方々にたくさんお会いして、この仕事はやりたくないな、と思いました。そこから別の道にシフトしていったように思います。

やりたくないと思ったのはなぜですか?

やっぱり仕事って、外から見たのと実際やるのって全然違うということがあると思います。たとえば、こういう笑い話があります。弁護士と医者と検事と歯科医が一緒にご飯を食べていたら、弁護士が「朝から晩まで、離婚だ何だ、取った取られた、という話ばかり。もうやりたくない」と言う。検事も「自分も朝から晩まで犯罪者ばっかりを相手にしていて、気分が悪い」と返す。続いて医者も「そんなこと言ったら、自分は朝から晩まで病気の人間ばかりで、もう嫌になる」と言う。すると最後に、歯科医が一言。「お前たちはまだいいじゃないか。俺は1日中、口の中の臭いニオイをかがされているんだぞ」。

今、話に出てきた4つの職業は、社会的には尊敬されている職業です。だからと言って、ずっと腰をかがめて虫歯をいじるのが楽しいかどうか……。そういうことをつきつめて考えると、政治家の仕事も8割9割は政治と関係ない仕事なんです。支援者の冠婚葬祭に行ったり、トラブルを処理したり。そして、それは僕がやりたいこととは違っていたんです。僕がやりたいのは、この国や世界を良くするということ。誰かの利益のために働く、ロビイストのようなことはやりたくなかったんです。

たとえば、官僚になろうとは思わなかったのですか?

思いませんでした。「人がどうすれば幸せになるか」「人はどうすれば動くのか」を考えていくうちに、どんどん幸せの研究に進んでいきました。『ユダヤ人大富豪の教え』に出てきたゲラーさんなど、いろんなお金持ちの方々に会って話を聞くようになりました。そこで「人を動かすのは政治ではなく、お金なんじゃないか」という考えに行きつきました。もちろん最終的にはお金じゃなくて、人間は感情で動いていると思うようになるのですが。

アメリカに留学したのは、いつだったのですか?

ちょうどその前後ですね。19歳のときに、アメリカで平和についての講演活動をするというボランティアに応募しまして、奇跡的に100何名の中からの8名に選ばれました。そのボランティアの選考基準が面白くて、愛嬌と英語力の2つが必要だったんです。僕は英語力はないけれど、愛嬌と度胸ならあるということで、応募してみたんです。面接のときには剣道の格好をして行って、剣道についていろいろ説明したんですが、面接官のほうが詳しくて(笑)。「これが面、これがコテ、これが…」と言ったら、「胴でしょ?」。「あ、よくご存じで…」みたいなね。しょうがないから、最後は歌を歌って帰りました。それで絶対落ちたと思ったのですが、受かったんですよね。何でも「君は面白い。愛嬌があるし、アメリカで受けるキャラだ」と。それで1年間アメリカに行くチャンスに恵まれたんです。

最初は全部御膳立てしてくれるもんだとばかり思っていたのですが、行ってみたら全くそんなことはありませんでした。アメリカに行ったら自分で講演先を開拓して、自分でアポを取らなくちゃいけなかったんです。小学校や中学校、教会につたない英語で手紙を書いて、英語で電話をかけて……。まあ言わばセールス活動ですよ。最初は当たり前ですけど、全部断られました。向こうからしたら、「変な外国人から電話がかかってきた」「なんじゃ、こいつは」と思いますよね。でも断られるということからスタートしているので、ちょっとでも話を聞いてくれたらとても嬉しいんですよ。そうやって知らず知らずに、セールスの勉強をやっていたわけなんです。しかも英語の勉強にもなっているので、一石二鳥ともいえます。

そのうち学校に潜りこむことができて、クラスの先生のハートを掴み、校長先生のハートを掴み、そして教育委員会の方を紹介してもらって。そしてまた次を紹介してもらい、どんどん講演のアポを取って行きました。これも一種のセールスですよね。それでこの方法がうまくいくようになったので、今度はいろんな人からカンパを集めるようにしたんです。面白いことには、カンパってお金を集めるための帽子を出すタイミングによって、集まり方が違うんですよ。当時、僕は折り鶴を折ったり、いろんなパフォーマンスをしてお金を稼ぐということをしていたのですが、最初から帽子を出してはダメなんですよ。なぜなら帽子をすぐに出したら、「金くれ」という形になるでしょう? うまいやり方は、観客の中で一番かわいい子供を選んで、「Hey,You! Come here!」と言って、僕のところへ来させるんです。そしてその子供に帽子を持たせて、「“彼を助けてあげて”と言って、お金を集めてきて」と教える。そして「5ドルや1ドルを渡されても“No,No,10$Please”と言いなさい」と(笑)。そうやって3人くらい子供を観客の中に派遣するわけです。そうするとお客さんもお金を入れてくれるんです。

そんなことをアメリカでやって、日本に帰ってきたのですが。経済界のVIPや政治家の方にアメリカでの話をしたら、「面白い奴じゃないか」ということで、どんどん会ってくれて、何だかんだと、かわいがってもらえたわけなんです。ちょうど中曽根康弘氏が首相のときで、インポート・ジャパンというテーマのもと、いろんなものを海外から輸入するというのが国策のようになっていた時期でした。大企業だけじゃなく、中小企業もどんどん輸入をし始めていたのですが、当然、トラブルやコミュニケーションの問題も増えていて。それで、いろんな政治家の方から頼まれて、海外に飛んだり、ネゴシエーションをやったり、通訳やコンサルタント、ロビイストのようなことをやったりして。22、23歳でそんなことをやっているわけですから、「何で君はそんなことができるんだ?」と言われる。そこで「実はアメリカに行っていましてね…」と話す。そうすると「君、面白いな。今度遊びに来なさい」と言ってもらえるんです。そうやって政治家の方や経済界の方にかわいがられつつ、次の人脈を紹介してもらうということをやっていたんです。

その流れの中で、人を動かすのは計算ではなく、心のつながりであるということにも気づくことができました。つまり「この人が好きだし、応援してやりたい」という気持ちがあるから応援するのであって、「儲かるから応援する」というのは応援のモチベーションも低いんです。儲からなくなったら、それで付き合いも終わりですからね。だから好かれること、応援されることが一番大事。そのことを教わったのもこの頃でした。