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先輩メッセージ / Message18:自由人 高橋歩さん

「サラリーマンにはなりたくない。でも何をしていいかわからない」という葛藤の時期があって、20歳でバー『ROCKWELL’S』を開いていますよね。そこでは何がピンと来たのですか?

ずっと同じような状況だよ。カウボーイの夢に破れて、大学は2流だか3流だかわかんない外語大学に入ってさ。いきなり外国人の先生が授業をやっているわけ。ぶっちゃけ、俺が英語を話したいと思ったのはカウボーイになりたかったからであって、カウボーイの夢に破れた時点で英語なんてどうでもよかったんだよ。しかもいきなり外国人だからさ、遅刻した理由も言えないし。なんか面倒くせぇって。何、日本でいばってんだよ、このやろ、みたいなさ(笑)。それで大学も行かなくなって、夢がまたなくなった、みたいな状況でさ。

で、俺、夢がないときは、だいたい近くの子供とかいじめて、ジャイアンになっていたんだよ。プータローになったときはだいたいジャイアン。「歩、最近何やってんの?」「うん、ジャイアン」「何?職業がジャイアン?やばいね(笑)」って言われながらさ。それである日バイトが休みだから、借りたビデオを見たの。それがトム・クルーズの「カクテル」だったわけ。

だから「見つけよう」というアンテナはいつも立っているよ。何か見つければ、俺はいけるんだって。それは俺の能力というよりは、親に悪いからさ。「自分の才能がないのは親のせいだ」って言う奴、「自分には才能がない」って言っている奴、俺はそういう奴らは嫌い。「生まれつきだから」とか言って、開き直る奴いるじゃん。ふざけんなって思うよ。それは親を侮辱しているんだから。イチローの親に俺の親が負けているわけないって、俺は強がりじゃなくて思う。野球だったら俺は敵わないが、イチローに負けない何かが俺にもあるはずだ。でもそれがなかなか見つかんなくて。だから「サラリーマンになりたくねぇ」って言ってみたり。「じゃあ何だよ?」って言われて、「うん、なんか福祉系」とか言っちゃったり(笑)。寒い状況だよね、今思うと。

そしてバーを開こうと決めて、開業する際にはいろいろ苦労もあったかと思うのですが。歩さん自身には苦労したという感覚はありました?

まあ、やりたくてやっていたことだからなぁ。でもそう言っていると、若い奴が「歩さんはやりたくないことはやらないんですか?」とか聞いてくるんだよね。別に俺「今、FAX送りてぇ~!」と思ってFAX送ったことなんてないし、「このメール、返信してぇ~!」と思って返信したこともないし(笑)。面倒くせぇと思いながらやっているよ。でも、トータルでやりたいことは俺が決めているわけで。もっと言えば、店を繁盛させるために土下座しなきゃならないという場合。土下座したいかと言えばしたくないけど、でもそんなのは楽勝だよね。別に叶えたいことがあるわけだから。小さい意味でのやりたくないことは無限にあるが、大きい意味でやりたくないことをやったことはない。

自分の気持ちが、やりたいね~ってなっているときは、もうすげぇワクワクしているわけ。最近もさ、マンハッタンに飲み屋さんを出したの。それで、ユウイチっていう、うちの飲食店のプロデューサーがいるんだけど、俺もユウイチも二人ともニューヨークは行ったことないんだよ。俺も世界一周したけどニューヨークは行っていなくてね。ある日「ユウイチ、今NYに店を出したらカッコイイなって思ったんだけど。どう、ピンとくる?」と聞いたら、「あ、くるね」とか言っちゃってさ。金はないし、英語しゃべれないし、だいたいNYに行ったことないんだよ。でも即、二人で「じゃ行こうか」って言って、1週間くらい行ったよ。それで向こうで会った日本人にそんな話をしたらさ、アンディ・ウォーホルが持っていたビル、バスキアがアトリエ兼自宅にしていたというビルの持ち主に会うことができちゃったの。で、「俺、ここで店やります。そのために来たんです」って言ってさ。そのとき金はいっさいなかったけど、出すことは決めちゃった。まあ全般的にその調子だよね。でも今はしっかり利益が出る店になっているよ。まあユウイチがすごいんだけどね。でも最初は俺が電話で「朝起きて、ホットドック屋のおばあちゃんにグッドモーニング!とか言ったら、かっけぇじゃん」とか言ったことからなんだよね。「そんな俺って、かっこいいじゃん?」みたいなノリね。

まだ人生の途中である23歳のときに自叙伝を残そうと思ったのは、なぜだったのですか?

いや、これも何も深いことは考えてなくて。22歳で飲食店を4店経営して、簡単にいえば高飛車になって来たんだよね。ふと、こんな小さな成功を守るために俺はやってきたわけじゃないぞ、と思ったわけ。ベンチャーキャピタルみたいなところから話もいっぱいきてさ、「あと何年か頑張ってくれればビジネスとして成功します。そうすればあなたは一生食えます」ってさ。「ふざけんな、バカ。こっちは一生食うためにやってんじゃねぇんだぞ。」そう思ったよ。

それから俺の中で、会議とか管理とかいう話が出てきた時点で終わりっていう気はしていたんだよね。で、辞めました。23歳で、再び職業ジャイアン。公園で子供をいじめているだけ。そんなときに仲間と本屋に行ったんだけどさ、自伝のコーナーがあるじゃん。キュリー夫人、野口英世、アインシュタインとかいろいろあってさ。俺がマサキっていう友達に、本当にギャグで「キュリー夫人、野口英世、高橋歩、アインシュタインとか並んでいたら、熱くね?」と言ったわけ。そこでマサキがスルーしていたら、俺は出版やっていなかったね。それがあいつ超食いついちゃってさ。「歩、熱っ!」とか言って。「え?俺熱い? 自伝出しちゃう?」という話になったのさ。でも俺はあまのじゃくだから、「普通有名になってから自伝を出すけど、無名の奴が自伝を出して有名になったら超熱くねぇ?」みたいな。超掟破りだよね。で、そのまま本屋で「本を出すために」という本を見てみたんだよ。そしたら書いてあるのは、出版社うんぬん、企画書うんぬん。当然、ふざけんな、俺らヤンキーなんだから企画書なんて作れねぇよ、となる。パソコンもワープロも持ってないしさ。じゃ、面倒くせぇから自分らで出版社作ろうという話になったの。

それで仲間のカフェとかに「熱い仲間を募集中。給料5万、残業アリ」みたいな貼り紙をしたのよ。「歩、さすがにこれは来ないよ?」とか言われていたんだけど、世の中には頭のおかしい奴はいるもんで(笑)。俺とマサキ以外に、今も一緒にやっている弟と、あともうひとり暴走族の奴とが来てさ。最初はいくらかかるかわかんなかったから、1人150万ずつ集めて始めたんだよね。

最初は売れなかったそうですが。

死ぬほど売れなかったよ。売れるわけねぇじゃん。壁に「祝ベストセラー!」とか書いていたけどさ。俺は23歳で、その中では長老でさ。みんな17歳とか18歳、弟だって21歳だったからね。みんなでアパートの一室に集まって、マジ出版社作っちゃったよ、なにやっていいかわかんない、みたいなね。

本が売れず3000万もの借金を抱えたそうですが、そのときに去来した思いを教えてください。

…さすがに3000万行くとね。最初は俺らもこけたらもしくは佐○急便に行けばいいとか言っていたんだよ。「もしくは佐○」という合言葉があったんだけど、3000万とか何年コースよ?って感じだよね。だからそこはブルーになったし。しかも仲間がふたり辞めて、俺と弟だけになっちゃったの。それはちょっと辛かったね。

それでさっきの話じゃないけど、「やりたいことなんだし、うまくいくまでやればうまくいく。だから、やめないで頑張ろう」って話をしてさ。またお店を開いて借金を返せという話もあったんだけど、それは俺の中では前に進んでいないという感じがあって嫌だったんだよね。それに飲食はできたが出版はできないってことになると、さっき言ってたことがおかしくなるじゃん。飲食はあてはまるが、出版はあてはまらないっておかしいよね。だから「マジやるべ!」となってさ。そしたらそのうち失敗が満員御礼になったんだろうね、売れるようになってきたと。

著書の紹介
『いつもココロに青空を。青空はつながっている。』

さやかさんとふたり、結婚式の3日後に出発した世界一周ハネムーン『LOVE&FREE』の旅からちょうど10年―2008年11月23日に再び地球をめぐる世界放浪の旅へと出発した高橋歩さん。キャンピングカーに乗り、世界中の路上を走り、歩き回りながら、胸に溢れた想いと、本能のままに撮った写真を集めて創った高橋さんの旅本の真骨頂。熱くまっすぐな言葉が胸に突き刺さります!
1470円(A-Works)

高橋歩さんのオフィシャルサイト「AYUMU CHANNEL」で、高橋歩さんの「旅レポート」と新刊「いつもココロに青空を。青空はつながっている。」をチェック!
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