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先輩メッセージ / Message12:日本ビーチバレー 朝日健太郎選手

チームメイトからは何て言われましたか?

ビーチバレーは当時はまだお遊び的なイメージがあったし、どちらかというとオールラウンドでプレーできる器用な選手が行くものだったんですよね。でも僕は、決して器用なタイプではありませんでした。だから「何言ってんだ、こいつ」ですよ。でも当時は僕も26歳でね。26歳の男って、まだまだ半分子供で半分大人な年齢ですよね。だからこそ、思いきって転向もできたんだと思います。

では、ビーチバレーとインドアのバレーボールの最も大きな違いを教えてください。

やってみたら、予想以上に違いましたね。一番違うのは、実は風なんです。風の中でボールをコントロールするというのが予想以上に大変でした。それから、アウトドアという要素は自分自身にすごく大きな影響を与えてくれましたね。ワイルドにもなったし、明るくもなりましたよ。だって周りは海だし、砂浜だし(笑)。アウトドアに身を置くことで、根本的な性格が変わりました。

見た目も変わりましたよね。

10人いたら9人はカッコ良くなったと言いますよね(笑)。でもそういう内面的な変化が伝わっているなら嬉しいですよね。

6人制から2人制に変わったことでの苦労はありましたか?

そうですね。不器用で始めたバレーボールから、さらに技術が要求されるビーチバレーに転向したわけですから、やはりその難しさは感じますよ。でも逆に2人きりでやるこからこそ、良かったと思うこともあります。と言うのも、ビーチバレーは試合中に監督やコーチがいないんです。練習中はコーチがいるけれど、試合中にコーチがスタンドから口出しすることはできない。ある意味、選手自身がコーチでもあるんです。ゲームマネージメントをしながら、自分の役割をまっとうして、さらにパートナーのケアもしなければならない。いろんなアンテナを張りながら試合を運ぶんですよね。でもそれが、自分には向いていたのかもしれません。技術や体力はそこそこですけど、頭を使ったり、パートナーのことを考えたりするのは、そこまで苦手じゃなかったんです。

インドア時代は、サントリーに所属していたんですよね。ビーチバレーへの転向に伴って、企業を退社するということについて不安はなかったのでしょうか?

思いがけず脱サラですよね(笑)。正直、8割方そっちの不安ですよ。サントリーに所属していたときは、サラリーマンですからね。バレーからビーチバレーへの転向よりも、会社を退社することの方がエネルギーを使いました。「食っていけるのだろうか…」って、ぐるぐる考えましたよ。

それでも背中を押したのは何だったのですか?

それぐらいインドアでやっていた中で、凝り固まったものがあったんでしょうね。我慢していたものが、やっとはじけたという感覚です。このままやっていても先がないな、というのはずっと考えていたことで、それがようやくビーチバレーという糸口を見つけたんですよね。もちろんインドアでも、探せば道はあったと思います。新しい場所に挑戦したりとか、新しい練習法に挑んだりとか、いろいろ方法はあったはずです。でも当時の僕には、それが思いつかなかった。ポジティブに言えば、勢いだったのかな。後先考えないで行動する。自分にそれだけの活力が残っていたんだ……。僕はそう捉えることにしています。

給料がないときは、どうやって生活していたんですか?

貯金を切り崩していく生活ですよね。最初は小さなスポンサーしか付かないし、家賃と食費がやっとまかなえるくらい。だから転向して一番驚いたのは、毎日こんなにも財布からお金が出て行くのかということですよ。こんなにもATMに足を運ばないといけないのかと。練習も公共の場所だし、試合会場への移動ももちろん自腹。今まではチームがすべて負担してくれて、自分で払うのは、夜のタクシー代ぐらいでした(笑)。それがビーチバレーに転向して、月曜の朝から自分のお金を使うようになったわけです。「あ、これが社会なんだな」と。ある意味、やっと実社会に足を踏み出せたような気がしましたね。

転向してみなければわからなかった感覚ですね。

でももしそういった状況が事前にわかっていたのなら、もしかしたらバレーを辞めていなかったかもしれません。今の現状を変えたい、何か未知なるものに力を注ぎたい。そういう欲求、欲望が勢いをつけてくれたんですよね。だからもしかしたら、ビーチバレーじゃなくてもよかったかもしれませんよ? サッカーでも野球でも良かったかもしれない。でも、ちょうどビーチバレーというものが前に現れて、しかもオリンピック競技でもある……。ただのアマチュアスポーツだったら、さすがに行かなかったと思います。最終的にはオリンピックもあるんだって思うと、やっぱりやる気も違いました。

こう考えると、自分がビーチバレーに転向することを正当化する材料も結構揃っていたんですよね。まず日本ではビーチバレーの選手があんまりいないので、自分がパイオニアになれる。オリンピックにも出れる。それから、インドアに残ることのマイナス材料を自分の中で挙げて……何だかんだ子供じみた言い訳なんですけどね。それで「ヨシ!これならイケるぞ!」と。

2008年には北京オリンピックに出場していますが、日本男子のビーチバレーのオリンピック出場はアトランタ以来12年ぶりのことだったんですよね。プレッシャーはありませんでしたか?

それはもう、インドアとは比べようがないくらいですよ。ビーチバレーのオリンピック出場枠は24チーム。オリンピック予選の最終大会がフランスであったんですけど、それまでにもう23枠はほとんど決まっていたんです。それで最終大会で、やっと24枠目が決まるという展開で。僕らはちょうど24番目につけていたのですが、すぐ後ろには、中国やフランス、カナダが僅差で迫っていたんです。僕らが3回戦ぐらいまで進めばギリギリ24枠目に入れるけど、もしこれらの国がベスト4まで上がったら大逆転という状況で。……もう大会1週間前から当日までが、人生の中で一番緊張しましたね。競技のことを考えて眠れないというのは、このときだけです。「本当のプレッシャーはコレなんだ」と思いました。何と言うか、オリンピックは、自分のキャパを超えた世界だったんですよ。「オリンピックに出るというのは、一体どういうことなんだろう?」と考えて、もう途方もない気持ちになりましたね。頭が飛んじゃいました。インドアのときは「明日は頑張ればいいか」ぐらいの気持ちだったんですけどね(笑)。

それだけオリンピックは特別な存在なんですね。

周りの影響もあると思いますが。でも試合の舞台として、オリンピックが最高峰ということは間違いないですね。一度経験すると「……これは目指すはずだわ」って思いますよ。オリンピックって、本当にお祭りなんですよ。試合をして、選手村に帰れば日本選手団がいて、テレビで観ていた世界中の選手がいて。北京市内に、世界のトップアスリートたちが凝縮されているわけなんですよね。そこに身を置くというのは、本当に光栄なことなんです。