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先輩メッセージ / Message09:心臓外科医 須磨久善先生

先生は人生の中で、いろんなチャンスをものにしているように思えます。チャンスを見逃さないでいられるのはなぜですか?

いつでも「自分が何を必要としているか」を考えているからですね。そもそもチャンスはみんなに平等に降り注いでいる。しかしながら、それをチャンスと受け取らない人と、チャンスだと思ったけれど間に合わない人がいるんです。じゃあ、どうすればチャンスをパっと掴めるか。僕は、普段から自分にとって何が必要なのか、何のために必要なのかを自問自答しておくことが一番大事だと思う。今欲しいのはこれ。やらないといけないのはこれ。濃縮された形で考えていれば、絶対に見逃すことはないはずです。

たとえば20代、30代の人が、「60歳までには大企業の社長になって、自家用ジェットを乗り回したい」と思ってもね。いきなり「自家用ジェットをあげます」と言われるなんてことは、まずありませんよ。そこに行くためには、まず自分で独立して起業するのか、あるいは大きな会社に勤めて特殊技能を身につけるのか。なりたい目標から逆算して、何をやるべきか考えないといけない。それをずっと20代、30代、40代と考え続けないと、チャンスは掴めない。

チャンスは来ないんじゃないんですよ、絶対来るんです。チャンスをモノにできない人は、それをチャンスと思わないのか、掴みそこねるのか、どっちかなんです。野球のバッターと一緒で、必ずピッチャーは球を投げてくる。打てない理由はふたつ。ひとつは、ストライクと思っていないから振らない。もうひとつは、振り遅れて空振り。しっかり構えて読みが当たったら、必ず打てるんだからね。

2000年には、心臓手術専門病院である葉山ハートセンターを自ら設立した先生ですが、現在は、心臓血管研究所付属病院に移られています。それはなぜですか?

葉山ハートセンターは、日本に僕が提案したい良い病院の形を実現したもので、それは予想通り受け入れられました。葉山を真似する病院がどんどんできて、居心地の良い病院がどんどん増えて、それはそれで良かったと思っています。

でも今度は、手術の前後の内科のケアについても興味を持ってしまったんです。もちろん、外科医として良い手術はします。でも内科でも、先端的な治療技術は次々と開発されていますよね。外科の手術にそうした内科の最先端の治療を加えた場合に、どのくらい患者さんが助かるだろう。そう思ったんですよね。心臓血管研究所付属病院には内科のエキスパートも揃っていますから、外科医の最後の仕上げとして、その答えを見てみたいんです。

現在、須磨先生は、子どもたちを対象にした病院見学会も行っているそうですが、それはどんな意図で始めたのですか?

僕がローマから帰ってきた96年に、ちょうど日本では酒鬼薔薇事件をはじめとする子供同士の残虐な事件が起きていたんです。急速に残酷な子どもたちが出てきて、「切れる」という言葉が氾濫して。おまけにそれが誰の責任だということで、親と教師が対立してテレビでも平気でののしり合っている。

実は僕には子どもがいないので、切実な問題ではないんだけれども、子どもがいないから冷静に見ることができたところもあって。これはどうも、日本の子どもたちを取り巻く環境が急速に変わってきたために、子どもたちが窒息状態になっているんじゃないか。そう思ったんです。そしてその理由のひとつが、成功のイメージを持てないからなんじゃないか、と感じたんですよね。子どもが学校から帰ったら、お父さんとお母さんは仲が悪いし、お母さんは「お父さんみたいな大人になっちゃダメよ」と言う。お父さんは毎日家を出て行くけど、どんな仕事をやっているかは見えないし、帰ってきたら暗い。「あんな風になりたくない」というモデルはいるけれど、「あんな風になりたいな」というモデルはとても少ないんですよ。

それじゃあ子どもたちは何を見てワクワクしているかというと、スポーツ選手と芸能人だけ。だからといって、子どもたちはそんな風になれるとは思っていない。結局、子どもたちはこうなれば自分は幸せだというイメージがないんです。これは親や教師のせいではなくて、大人対子どもの問題だと思う。大人がカッコイイ大人の姿、あるいは本気で働いている姿を、子どもたちに見せていないから悪い。そんな話を、いろんなところでしていてね。自分から言った以上は、「よし、大人が現場で本物を見せましょう」となったわけなんです。

最初に始めたのは、葉山ハートセンターですね。病院に提案してみたら「病院としては受けましょう。でも子どもが病院なんかに来ますかね?」と、言われました。それで近くの学校の校長先生に相談してね。学校の掲示板に張り紙を出したんです。そしたら、ちょっとずつ子どもたちが来はじめたんですよ。そのうち取材なんかもあって、どんどん見学者が増えて。小学校の修学旅行でコースとして組み込まれたこともあったくらい(笑)。感想も山ほど来ていますよ。感想の中には「今年、医学部に入学しました。病院を見学したあの日から医者になろうと決めていました」なんて嬉しい声もありますね。

すごいバトンパスですね。

もともとは子どものストレスのはけ口というかね。大人にいいイメージを持ってもらおう、というきっかけで始めたのだけど、よくよく見学に来る子どもたちを見ていると、医者になるための良い原点づくりにもなっていると思いますね。「なぜ自分が医者になろうと思ったか」という原点は、医者人生においては結構大事なことなんですよ。辛い仕事ですから、いつかどこかで自分は医者に向いていないんじゃないか、もっと他の仕事があるんじゃないか、と思う時がある。何度も何度も自問自答して、やめるか、やってみようか、考えるわけなんです。そうしたときには、必ず「自分がなんで医者になろうと思ったのか」という質問にたどりつく。その答えが「父親が医者だったから無理やり」あるいは「医学部受けたら通ったから」というようなものだったら、きっと自分はあの判断が間違っていた、と思ってしまうはず。でも、もしそこで「人を助けてあげられることに感動した」「すごい医者を見た」とか、そういうピュアな原点があれば、きっと立ち戻っていけると思う。

これは実際にあった話なんだけれど、ある小学生が母親に連れられて見学に来ていたんです。朝、みんなを集めて話そうというときにも、ひとりだけ横を向いて態度が悪いんですよ。「どうかしたの?」と聞いたら、「お父さんが『絶対見て来い!』っていうから来たけど、僕はこんなところ来たくなかった。医者になるつもりだって全然ない」と言うんです。だから僕は「ここに来たからと言って医者になる必要なんてないよ。でも人生の中では病気になることはあるかもしれない。なったときに、どんなところに入院するのか、ちょっと見ておくのもいいんじゃない?」と言ってやったんです。それで手術を見学させて、お昼休みに食堂にまた集まったらね。朝はポツンといた男の子が、みんなとワイワイ話しているんです。「どうだった?」って聞いたら、「先生! 僕、お父さんが医者じゃなくても医者になります!」と言うんです。この差は大きいよ。彼は、どっちにしても医者にはなったかもしれない。でもイヤイヤなった医者と、ワクワクしながらなった医者とは全然違いますから。

これから医者を志す若者が、海外に出る意味はどこにあると思いますか?

海外に出ることはすごく大事。でも医者になるから大事というわけではなくて、人間として、日本人として大事だと思う。日本人は基本的に島国育ちなんですよ。島という囲まれた中でぬくぬく育って。喜怒哀楽やいろんな軋轢はあるけれど、基本的にはなんとなくスケールが小さい。くだらないことで怒ったり、悲しんだり、喜んだりしています。それを打破するためには、言葉で言ったってダメ。現物を見ないとね。そういう意味でも、アメリカやヨーロッパ、先進国に行って、より進んだ世界や日本と違った人間関係の作り方を学ぶのは大事なこと。一方で本当に貧困ですさんだ国だってあるわけで。そういうのを見ると、日本の貧困なんてその国では贅沢の極みだと言うこともある。海外に出て見識を広げるのは、とても意味があることですよね。

それからもうひとつ。通じない言葉を使いながらもコミュニケーションをするスキルが身に着けられるのも海外に出る意味だと思う。海外に旅行に行くのではなくて、生活するということを体験したほうが絶対にいいですよ。極端な話、日本人みんなが海外に3~5年間住むようにした方がいいと思う。それでだんだんと日本人が国際感覚を身につけて帰ってきたら、日本はもっと大人の国になっていると思う。

でも現実には、ハワイしか行ったことないとか、パスポート持ってないという人もたくさんいる。結局、日本は村なんですよ。村のしきたりさえ守っていたら、いい人間。村の連中だけで通じるジョークがあって、そういうものでコミュニケーションができている。ところが関係ない人がそこに入っていこうとすれば、なんだ変な奴だ、と言って、バッサリ切るでしょう? もうそろそろそういう島国感覚から解放されないと、この国は滅びます。政治は混乱しているし、農業だってどうなるかわからないし、先端企業だって落ち目。島は残るけれど、国の繁栄はなくなってしまう。じゃあ日本人がどういう風に生き延びて、存在感を示していけばいいかと言うと、結局世界に飛び散って、海外で日本人としてのパワーを見せるしかなくなってしまうと思う。

前述した本の中で先生は「地獄を見ないと一流にはなれない」という言葉をおっしゃっています。先生にとって「地獄」とは何なのですか?

別にお金がなくなるとか、地位がなくなることではありません。ひとりぼっちで誰も助けてくれないところに行ってしまう状態ですね。そのきっかけになるのは、事業に失敗したとか、トップの座から転げ落ちたとか、そういうことかもしれない。あるいは、自分はこれが正しい!と突き進んだ時に、周りがそれを許さなかったということかもしれない。自分一人だけ、ポーンと別の空間に追いやられてしまうようなことって、人生の中で必ずあるんですよ。のらりくらりと生きていない人間には、必ずそういう目に遭うときがくる。もう自分はダメかもしれない、もうみんなと笑い合った日は帰ってこないのかもしれない、もうチャンスは訪れないかもしれない……。そんなことばっかりを考えてしまう状況が来るんです。でも、そういうキツイ目に遭うのには、僕は理由があると思う。

ひとつは、そんな目に合うような悪いことをしたから。自業自得の場合ですよね。そしてもうひとつは、神様が試練を与えてくれているから。何も悪いことをしていないのに辛い目に合っているのであれば、それは将来出食わすもっと大きな仕事、チャレンジに打ち勝つために、神様が試練を与えてくれているんです。ほとんどの場合、後者のことのほうが多いですよ。そしてそれに打ち勝ったときに、やっと一人前になれる。ただ、地獄からカムバックしても、「こんなに辛かったんだよ」なんて言う人は、まだまだ一流にはなれない。そうした思いを心にしまいこんで、「そんなことあったっけ」と平然と次のチャレンジに向かっていくのが、一流ですよ。

最後の質問です。先生の次の目標は?

僕は来年還暦を迎えるんです。それがもう、むちゃくちゃ楽しみなんですよ。60は本当にひとつの大きな区切り。60~80歳までの20年間のグランドデザインを、どう描いて行こうか楽しみでしょうがない。今は定年を迎えたけど、体は元気という60代がわんさといますよね。でも何をしていいかわからなく、ゴロゴロしている。そういう人たちが、もう一度青春時代に戻れるようなことを考えたい。僕はフィジカルなものを仕事としているけれど、他のいろんな職業をしている人たちと一緒になって、何か面白いことをしていきたいと思っているんです。

だって、自分を見ていたら、元気すぎるんだもん(笑)。ビートルズを聴いたらワクワクするし、ジルバ踊ってたら青春時代に戻れるし。心臓の手術は才能のある後輩たちにいっぱい教えたし、ある部分で、自分は心臓外科医としてきちんとお勤めを果たしたという気持ちがあります。高みまで自分を持って行けたと思うし、みんなにも分かち合えた。だから区切りをつけていいと思っているんです。さあ、これからです。もっと面白いことをやろう。ワクワクしていますよ。

次の20年の先生のご活躍を楽しみにしてます。

インタビュアー:株式会社エストレリータ代表取締役社長:鈴木信之

ライター:室井瞳子

PHOTO:堀 修平