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先輩メッセージ / Message09:心臓外科医 須磨久善先生

そうは言っても、先生は帰国後1年たらずで、国内初のバチスタ手術を行っていますよね。そのときは不安などはなかったのでしょうか?

外科医が患者さんに手術する上で、不安はもちろんあるけれど、恐怖心はありません。怖いなら出来ないでしょう?うまくいくに違いないと信じて。成功のイメージを持てなかったら、手術なんてできないし、人の心臓なんて切れませんよ。だってもし患者が亡くなったら、その責任は全部自分が引き受けるわけだし、一生それを背負いこむことになるんですよ? 恐怖心を抱えて手術なんて、到底できません。

もちろん日本では誰もやったことがない手術だし、大変な思いはしますよ。百戦錬磨の人が相方として手術に付き合ってくれるならいいけど、すべて自分で考えて自分でやるわけですからね。 でもそれは、心臓外科医の宿命みたいなものですね。今、日常的に行われている心臓の手術というのは数百種類あるけれど、要するにそれは数百人の外科医が初めてのことをやったということの証。みんな最初に手術をするときには、いい手術に違いない、きっとうまくいくに違いない、と思ったはずなんです。

心臓外科医と他の職業では、失うものが違います。お金をなくしたら、借金して返せばいい。でも医者の場合は、相手を死なせてしまったら、自分の命では返せない。逆立ちして、もがき苦しんで、何をどうしたところで、なくなった命は返せない。そこには決定的な違いがある。

しかしながら、今現在、オリジナルのバチスタ手術は撤退していると聞いています。

ええ。世界的に見ても、私たちを含めてほんのわずかなグループしかやっていませんね。確かに、バチスタオリジナルは滅びました。私たちはどんどん改良を加えて、バチスタが通用しないときの新しい術式も考えて、それをどう組み合わせるかも熟考して進化させました。「まだバチスタ手術やっているらしいね」と、鼻で笑っているような人にはもっと勉強してほしいと思います。やめた、というのと、悪いところを何とか改良して使い物にしようとした。その違いです。医者としての覚悟の違いと言ってもいいかもしれない。

実績を出せば出すほど、成功して当たり前、というプレッシャーがかかってくるのではないですか?

出せば出すほど、ではなくて、一例目からそのスタンスです。医者になって初めて心臓手術をしたときだって、経験がないから失敗してもしょうがないかな、なんて思っていません。患者さんだって、初めての医者だから死んでもしょうがない、とは決して思っていないでしょう。心臓外科医というのは、スタートの時点から、死なせてはいけないというプレッシャーは満ち溢れています。

この点も他の職業の方と全然違うところで、きっと永遠にわかってもらえないと思う。初心者だから許されるということは絶対にない。そのうち覚えればいいよ、今日はしかたがなかったね、なんてことは許されない。死んだ命は取り返せないですから。一発必中で、全部最初から助けなければいけないんですよ。

そういう精神力がないと外科医にはなれないんですね。

なっちゃいけないし、辛さに耐えかねた人は辞めていっていますよね。外科医から内科医になりました、保健所勤務になりました、と言っている人は山ほどいます。一見、外科医はいっぱいいるように見えるけど、最初はもっとわんさかいて。どんどん外科医をあきらめていって、残ったのが今いる外科医たちなんですよ。

画期的な業績をあげた人に対して、嫉妬感情をぶつけてくる人もいますよね。先生について書かれた本『外科医 須磨久善』では、そうした負の感情に対しては鈍感さを持つことが大事とありました。どうすれば鈍感でいられるのでしょうか?

キリスト教では、人間には七つの大罪がある、と言いますよね。貪欲、執着、憤怒……。その中に、嫉妬というものもあります。要するに、嫉妬の感情を持たない人なんていないんですよ。だから妬まれることを避けて通ろうとしても、それは無理な話。逆に僕は、道を極めたことの指標のひとつが「どれだけ人に妬まれか」だと思う。アメリカで「神様」と言われた外科医も「私は尊敬なんてされたくない」と言っています。妬まれなければ一流とは言えない。尊敬されているうちは、まだなめられている。嫉妬されて初めて一流だ。彼はそう、はっきり言っているんですよ。嫉妬されないように気を付けながら立派な仕事をしよう、と思ったところで、それは無理。そこまでわかっていれば、これはもう嫉妬と付き合っていくしかしょうがないじゃないですか。嫉妬した人に腹を立てても疲れるだけ。無視するしかないですよ。

次々と新しい術式を取り入れてきた須磨先生ですが、何が挑戦へと駆り立てるのでしょうか?

より良いものを求めているだけです。今、僕の本棚には手術の教科書があるけれど、この本さえあればどんな人も助けられる、というところまで医学はまだ来ていない。手術できない患者さんもいる。できたとしても、一か八かの手術しかない。そういう症例がいっぱいある。そういう方たちが「助けてくれ」と言ってきたときに、どうにかして助けてあげたいじゃないですか。じゃあ、どうしたらいいかと考えたら、どんどん新しいもの、より良い方法を考えていかなくてはいけない。もう、エンドレスですよね。

気分が落ち込む時はありますか?

人間だから、しょっちゅう落ち込みますよ(笑)。でも職業柄、瞬間的に切り替えるようにはしていますね。いつも手術室に入る前はまっさらな自分でいないといけないし、そうすることが患者さんに対するエチケットですから。 簡単で身近にできる気分転換法は、優秀な外科医なら誰もが持っているものですよ。

ちなみに先生の気分転換の方法は?

今は亡くなっちゃったのだけど、以前は家に大好きなゴールデンリトリバーがいてね。一緒に過ごすと気分が和みました。それから料理を作ること。料理をしている間は、本当に集中しますから、嫌なことも忘れられるんですよ。ありきたりだけれど、僕にとってよく効く薬はそういうものです。

著書のご紹介
『外科医 須磨久善』(海堂尊)

『チーム・バチスタの栄光』の作者であり、現役の医師でもある海堂尊が描く、須磨久善先生のドキュメンタリー。須磨先生が医者として歩んできた道程、そしてチャレンジの軌跡が、生き生きと語られます。常識を打ち破るような技術を考案し、その技術を他人に提供し、そしてそれにより豊かな世界を構築する。著者が「破境者」と呼ぶ須磨先生の熱い生きざまが、深く心に突き刺さります。医療を目指す人はもちろん、「一流とは何か」「挑戦する意義とは何か」の答えを模索している人に、ぜひ手にとって欲しい一冊です。