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海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>タリーズコーヒージャパン㈱創業者 松田公太氏

先輩メッセージ / Message08:タリーズコーヒージャパン㈱ 松田公太社長

銀行では、ここまで達成したら辞めようという目標はあったんですか?

まず期限ですね。最初から5年で辞めようと思っていました。実際には1年のびて6年勤めたんですけどね。それから、私は銀行で新規外交を担当していたのですが、少なくとも支店でトップ、できれば全行で表彰されるレベルになる、というのが目標でした。それができなかったら、会社から飛び出しても無理だろうと思っていましたから。それはふたつとも達成することができました。

働いているときにも、何かビジネスになりそうなものは探していたんですか?

正直言うと、探していましたね。常に何か面白いものがないか、感度は高く保っていました。

その中でタリーズに出会われたんですね。

最初にスペシャルティーコーヒーを知ったのは、95年のこと。友人の結婚式があったボストンで、スペシャルティコーヒーを飲んだのが運命的な出会いです。そのときにスペシャルティコーヒーのおいしさに驚いて。そのあとに発祥の地であるシアトルに赴いて、タリーズと出会ったわけなんです。

タリーズのコーヒーを飲んで、どう感じたんですか?

おいしいな、その一言です。ボストンで初めてスペシャルティコーヒーを飲んだ時もおいしいと思ったんですが、タリーズはもっとおいしかった。いろいろ飲み歩いた中でも、圧倒的にトップだったんです。この味なら日本でもいける!そう思いました。

小さいころからコーヒーはお好きだったんですか。

いえ、実はあまり好きではなかったんです(笑)。だからこそ、いいなと思ったんですよ。あんまりコーヒーをおいしいと思ったことない自分が、飲んでおいしいと思った。それは本物なんじゃないか、と。子どものころ食べておいしくないと思ったのものが、大人になって本物を食べたらおいしかった、という経験は誰にでもあると思います。私の場合、その感動がすごく大きかったんですよ。子どものころに飲んだコーヒーは本当においしくないと思っていたので。

そこからタリーズへの猛アタックが始まったわけですね。松田さんは、タリーズ本社の会長にすぐアプローチをされたそうですが、躊躇する気持ちはなかったんでしょうか?

本当にがむしゃらだったんですよ。とにかく会わなきゃという気持ちだけ。銀行時代の新規開拓の仕事の経験がありましたから、躊躇していたら絶対に仕事なんてとれないということが身にしみていたんです。無理だと思っても、あの手この手を使って、いろんな策を考えて、会社に飛び込んで……。どうやって自分に振り向かせようということだけを考えていました。たまたまその延長戦でタリーズの創業者のトム・オキーフ氏にも近づくことができたんです。

だから銀行で新規開拓の仕事をやっていて、本当によかったと思います。でも性格的に、もともと飛び込みが好きだったんですよね。大学時代も、先輩に「お前、あの女の子ナンパしてこい」と言われたら、「わかりました!」と、行っちゃうタイプだったんです(笑)。そこで「なんだよ、この先輩」と思ったら、結局自分もつまらないじゃないですか。だからそういう無茶苦茶なことを言われても、楽しくやっちゃおうと試行錯誤していましたよ。単純に「すみません、お名前教えていただけますか?」なんて言ってもつまらない。いろいろ考えて、同級生にボールを投げてもらって、それを女の子の前でダイビングキャッチして、そこから話を始めよう……みたいなね。ナンパひとつでも、いろいろプランを練っていました。でもそういうものの考え方は、のちのちも生きましたよ。どうやって人の心を振り向かせよう、どうやって心をキャッチしよう、と考えることにつながるわけですからね。

そうは行っても一介のサラリーマンが米国タリーズの会長と直接交渉するというのは、なかなかできることではないと思います。会長に会うことができたのは、なぜだと思いますか?

とにかくメールや電話をしまくりました。本人からはメールにしても電話にしても一回も返事はなかったのですが、諦めずしつこく送り続けていたら、必ず報告は行くと思うんです。1回や2回、3回であきらめてたら報告は行かないかもしれない。でも100回メールが来ていたら、絶対に部長には話しますよね。さすがに嫌われるのはまずいので、タイミングを見ながら、向こうのニーズも聞きながら、ずっと連絡を取り続けたんです。たとえば「もうちょっと日本のコーヒー業界について知りたいことはないですか?」とか「僕は日本にいるので調べますよ」とかね。それで誰かしら返事があったら、返信もしっかりする。そうやって繰り返していくうちに、私は副社長と仲良くなることができたんです。仲良くなったらこっちのものですから、会長にも報告しておいてください、とお願いしておく。決済責任者にはできれば最初に会う、というのが私の方針だったのですが、それができなかったので、とにかくそこに一番近い人を落とすことにしたんです。おそらく副社長から、トムには話が行っていたと思いますよ。だからこそトムが日本に出張していたときに、急にホテルに訪ねて行った私に対して、「ああ、君か」と言って会ってくれたんだと思います。

タリーズを日本に持ってくるだけでなく、日本中に広げることができたのはどうしてだと思いますか?

まずひとつに、「コーヒーとタリーズに対する情熱は自分が一番強い」ということを常に発信することによって、それに引きつけられた人がいてくれたということでしょうか。この人、大風呂敷広げているけど、ちょっとついて行ってみようかなと。フェロー(タリーズでのスタッフの呼称)たちが、私に対してそう思ってくれたんですよね。

それから私は、かなり初期のころからストックオプション制度を導入していたんです。でも当時、アルバイトの子に、いらないと言われてしまって。でもこれはとてもいいものだから、とっておきなさいとあげたんですよ。そしたらお父さんから電話がかかってきて「お前うちの娘に何を売りつけているんだ」って(笑)。そこでお父さんに丁寧に説明して、無理やりストックオプションを付与したことがあります。でも上場してから、そのストックオプションが数百万円の価値になり、そのお父さんから感謝のお電話をいただきました。社員もアルバイトも関係なく、タリーズで働く者たちはみんな仲間=フェロー、だから大切にしたいし、心をひとつにして、一緒に成長しようという気持ちでやってきました。フェローたちの頑張りがタリーズコーヒー急成長の最大の理由だとと思います。

あとは、フェローたちには常々コーヒーはおいしくて当たり前、ということを言っていました。我々が売りにしているのは、結局、ホスピタリティなんです。今日来てくれた、並んでくれたお客様に感謝の気持ちを持って接することができるかどうか、それが一番大事。心をこめて、今からこのコーヒーはこのお客様のために抽出するんだと、そう思いながら抽出することが大事なんです。ここはタリーズが競合他社と違うところなのですが、ほとんどのお店はエスプレッソを全自動マシンに頼っているんです。スタッフの教育が難しいからでしょうね。でもタリーズは、手動型のバリスタマシーンで一杯一杯心をこめて丁寧に抽出しています。そのお客様のために作るんだという気持ちをなくさないためでもあるんです。

本当に効率化を考えたら、絶対に全自動型のマシンの方がいいんですよ。しかもタリーズでは、失敗したら作り直すということを徹底していますから、当然時間もかかるし、お客様だってイライラしてきますよね。でも私は、ピンチはチャンスだと教えています。そういうときにこそ「お客様、今のエスプレッソは完璧な抽出ができませんでした。最高のものをお出ししたいので、もう少しお時間をください」そう言って作り直せば、お客様だってタリーズがどんなに心をこめているかをわかってくれるはずなんです。毎日毎日同じことを言い続けていましたから、それに賛同してくれるフェローも多かったと思います。

著書のご紹介
「すべては一杯のコーヒーから」(新潮社)

金ナシ、コネナシ、経験ナシ!のサラリーマンが、米国タリーズの創業者をアポなし訪問し、日本におけるタリーズの経営権を獲得。工夫と人材の発掘を重ねて、タリーズを一大コーヒーチェーン店に育て上げるまでの軌跡。情熱と出会いを糧に成功を勝ち取った、松田氏の熱い自叙伝。“No fun,No gain(楽しみなくて得るものなし)”“失敗したからといって、命まで取られるわけではない。”「起業家に必要なもの」のヒントとなるようなメッセージが、たっぷり詰まった一冊です。

その他、「仕事は5年でやめなさい。」(サンマーク出版)

タリーズコーヒーを日本に広めた伝説の経営者に学ぶ人生を切り拓く仕事術。 アジア環太平洋、そしてその他の国々へ、タリーズコーヒーを広めるべく、新たな挑戦の舞台に立ち、さらなる発展の渦中にある氏が、すべてのビジネスマンへ自身の仕事術を伝授。5年単位で期間を設定し、成長速度を上げている松田氏の「仕事は5年でやめなさい。」の真意は、多くのビジネスマンにとってのヒントとなるはずです。