VOICE

海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>タリーズコーヒージャパン㈱創業者 松田公太氏

先輩メッセージ / Message08:タリーズコーヒージャパン㈱創業者 松田公太氏

タリーズコーヒージャパン㈱の創業者である松田公太氏。松田氏は、資金も後ろ盾もない中、米国タリーズの創業者と直接交渉の末、日本における経営権を獲得。300店を超える一大チェーン店へと育て上げました。食を通じて「文化の架け橋になりたい」と語る松田氏の、夢の原点と情熱の源について、たっぷりお話を伺いました。

PROFILE

松田公太(まつだ こうた)

1968年宮城県生まれ。父親の転勤で、セネガル、アメリカで少年時代を過ごす。1986年に帰国し、筑波大学に入学。1990年、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。1995年、ボストンでスペシャルティコーヒーと出会う。1996年、シアトルのコーヒーショップ、タリーズの日本での経営権を獲得。1997年に1号店を銀座にオープン、翌年タリーズコーヒージャパン株式会社を設立。300店を超える一大コーヒーチェーン店に育て上げる。2007年、タリーズコーヒージャパン社長を退任。2008年にはタリーズコーヒー インターナショナルをシンガポールで設立。2009年、ヤマノビューティーメイトのアジア環太平洋拠点の Face+by Yamano Asia Pacificを設立、山野幹夫氏と共同会長に就任する。

松田さんは小さいころから食文化に興味を抱いていたそうですが、それはなぜですか?

一番は、父の仕事の影響ですね。水産会社に勤務していた父の転勤で、私は幼少期から思春期を、アフリカのセネガルとアメリカで過ごしているんです。魚介類を追いかけて、世界中を回っている父親を間近で見て、親父はこういう仕事をしているんだな、日本から食べ物を探しに世界に出ていくなんて面白いな。単純にそう思ったんですよね。

それからもうひとつ、セネガルに住んでいるときに、忘れられない出来事があったんです。私の家は、魚介類が本当に大好きな家庭で。ある日、家族でセネガルの海に遊びに行ったら、どこもかしこもウニだらけ。みんなでウニを拾って、生のままで喜んで食べていたんです。そしたら、現地のセネガリーゼが集まってきて、「お前ら何食べてるんだ? 」「そんな気持ち悪いものを食べるのか」と言われ、もう、びっくりしましたね。私にとっては、生まれて初めてのカルチャーショック。さっきまでは家族で「こんなにおいしいウニ、日本では食べられないよね」なんて話していたのに、現地の人からすると「ゲテモノ食い」みたいに思われる。それがショックだったし、驚きでした。どうしてウニひとつに対する感じ方がこんなにも違うんだろう? そういう思いが、自分の中でグワ~っと広がりましたよ。それまで私は現地の小学校に通っていましたし、何せ子どもですから、文化の違いを意識することもありませんし、現地のものを食べてもそんなに違和感を感じることはなかったんです。だからそのときに初めて、自分たちは違うんだと思い知らされた。自分たちは日本人なんだって、意識させられたんです。

小さいころから日本を離れていると、日本人であることを意識するのは難しいと思えるのですが、そうではなかった?

はい、逆です。もちろん、そういう方もいらっしゃると思います。でも私は、そのウニの事件がきっかけとなって、「そういえば自分は日本人なんだ」と思い始めることになったんです。実は、セネガル時代には、1度も日本に戻ることはできなかったんですよね。でも日本にいる祖母が「小学1年生」などの日本の雑誌を送ってくれたり、日本のお菓子を送ってくれたりしていて。やっぱり日本のお菓子はおいしいなと思うし、日本の本は面白いなと思う。そこからだんだんと自分は日本人なんだという実感を持つことができたんです。

それからこれは母によく言われていたことなのですが、「公太はセネガルにいる、すごく少ない日本人のひとり。だから周りの人は公太を見て、日本人というものを判断することになる。公太は日本の代表なんだから、日本人として恥ずかしくならないようにふるまいなさい」。何度も何度も言われていたので、そこからだんだんと日本人であることを意識するようになっていきました。

それから小学校時代に一度日本に帰られて、またアメリカに行かれたんですよね。アメリカでも、やはりカルチャーショックはありましたか?

日本に戻ったのはほんの数カ月で、すぐにアメリカへ行きました。アメリカでも、常にカルチャーショックばかり。それもマイナスのショックの方が多かったですね。人間は、毎日口にするもので体ができていくわけだし、食べ物をバカにされたり、理解してもらえないとすごく悲しいですよね。でも当時のアメリカでは、寿司や刺身なんかを食べていると、すごくバカにされるんですよ。それもセネガルよりも、もっときつく言われてしまう。セネガルでは日本人があまりにも少ないし、人種的にセネガリーゼが日本人をバカにするという図式もない。でもアメリカでは差別があったんです。多種多様な人種が集まってできた国ですが、その中でも人種の優劣が付いていて、歴史認識の違いもあってか、当時は、まだ黄色人種には風当たりが強かったんです。それで、ますます「日本食はおかしい」「気持ち悪い」と、否定的に言われるわけです。今はラーメンもカレーも日本式のお店があるし、寿司も天ぷらも豆腐だって食べられています。でも当時はそれらを低俗な食べ物だと思われていたんです。それはもう、傷つきますよ。毎日食べているものを否定されるわけですから。父が仕事として扱っている魚だって、アメリカ人は本当に食べないんですよ。魚自体が、子どもたちの中で食べ物としての地位が低いんです。「なんであんなもの食べないといけないの? 」と言われる。生で食べるなんて、彼らにとってみたら、もっと信じられないわけですよ。

でも私は、母に「日本の代表」と言われて育っていましたから、その頃にはプライドを持つようになっていたんですよね。だから逆に「こんなにおいしいものを食べないなんておかしいよ」、そう思う気持ちのほうが大きかった。まだ中学生ぐらいでしたけど、もう自分の方向性は見えていましたよ。大きくなったら、カッコイイ寿司屋をやってやろう。バカにされた分だけ、おいしい寿司を食べさせてやろう。そう思っていました。

特に私が興味を持っていたのは回転寿司ですね。アメリカにいるときは2年に1回は日本に帰る機会があって。母の実家を訪れたときに行ったのが、回転寿司屋の元禄寿司だったんです。初めて行ったときには、「なんだ、この寿司屋は!」と思いましたよ。寿司屋で何がいやだって、おまかせで頼むと何だかよくわからないものが出てくる。子どものころは、コハダとかアジとか光りものの味がまだわからなくて・・・、でも回転寿司は、自分が好きなものを選べるわけですよね。当時13、4歳でしたけど、これならアメリカ人も寿司を食べられるんじゃないかな、と思いました。

高校卒業後は、単身日本に戻られたんですよね。それはなぜですか?

単純に日本をもっと知りたかったんです。私はそれまで日本の学校をほとんど出ていなかったので、日本でちゃんと大学に行ってみたいと思ったんです。自分は日本のことを知っているつもりで、日本人としてのプライドも持っていましたが、でも実は本当の日本は何にも知らないんじゃないかなって。実際住んでみたら、やっぱり知らないことだらけでした。

たとえばどんなことに驚きを感じましたか?

すべてですね。私にとって、多感な思春期を過ごしたアメリカ生活の影響は大きく、それと比べると考え方、性格、気質、など、ベーシックなものがすべて違うんです。アメリカでは自分の意見はなるべく強調する、日本は協調する。そこはまったく違いますよね。

それじゃあ、生意気なヤツだと言われたんじゃないですか?

言われました。大学の友人や先輩からは「公太はしょせん、アメリカ人だもんな」って言われていました。セネガルでは「日本人だから」って言われ、一度帰った日本の小学校では「アフリカ人」と言われた。そして今度はまた「アメリカ人」ですよ。自分はいったい何人なんだろう、と思いましたよ(笑)。

でもそうは言っても、どこか冷静に見れている自分もいたんですよ。日本のことを知らないから拒否するんじゃなくて、どっぷりつかってみよう、そう心に決めていました。実際に帰国子女枠で大学に入ってきた何人かは「日本人はおかしい!」って、すっかりアメリカにかぶれて、否定している人も多かったんです。自分も日本人なのにね。でも私は、「自分は日本人なんだ」って、受け入れてみることにしたんです。日本特有の縦社会を学ぶために、体育会系のアメフト部に入りました。

アメフト部は上下関係が強そうですね。

そうですね。でもそこは、面白がることにしていました。自分を日本社会に閉じこめて、どうなるんだろうっていう実験みたいなもの。意外と順応できました。

その時に日本の良さも感じましたか?

もちろん。アメフト部では先輩を敬うのは当然、1学年上なら神様だって、そういう考えですよね。でもその考え方の根底にあるのは、年上は敬うものという教えなんです。それは残すべき、日本の良い考え方だと思います。アジアにはあるけど、欧米にはまずないですからね。

大学卒業後は銀行に就職されたそうですが、それはなぜですか?

自分の視野を広げたかったし、いろんな経営者と出会いたかった。いろんな理由があって、就職先は銀行が自分にとってベストな選択だと思ったんです。それは実際に正解だったと思います。

もともと食に興味を持っていたのに、なぜ食品メーカーは選ばなかったんですか?

逆に視野が狭くなると思ったんです。食品メーカーは、その分野においてスペシャリストにはなれると思いますが、経営者を目指すためには、銀行は幅広く勉強できるし、財務面の勉強にもなる、何よりいろんな経営者に会える。なんでもそうだと思うのですが、視野を広げていろんな情報を得て、全般をしっかり見えるようにしないと成功はできないと思います。