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海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>株式会社マザーハウス 山口絵理子代表

先輩メッセージ / Message04:株式会社マザーハウス 山口絵理子社長

バッグを作ってくれる工場はどうやって探したんですか?

リストを持って、フラフラさまよいながら提携工場を探していました。後から知ったんですが、最初に活動しはじめた場所が、バングラデシュの中でも一番危険な地域だったんですよ。あそこに女性が一人でいること自体が危ないといわれるような地域。テロとか銃撃戦が起こるのは、いつもその地域だったんです。だから工場を訪ねても、「何しに来たんだ?」と言われるし、ましてや「かわいいバッグを作りたい」なんて言ったって、それこそみんなコピー商品を作っているような工場ばかり。「バングラデシュから、いい商品を作りたい」という言葉が、全然通じませんでした。いくら現地の言葉で話しても、向こうにとってはまったく意味がわからないんですよね。それでもあきらめずに足で探して、話を聞いてくれる工場をやっと1軒見つけたんです。

最初に話が通じたときは、どんな気持ちになりましたか?

話が通じた、と言っても、結構軽い反応だったんですよ。「ふうん。じゃ、やってみようぜ」という感じ。今のスタッフが理念を理解してくれているような感覚とは全然違う。今思えば、100%は言葉が伝わっていなかったんじゃないかな。

工場では、山口さん自身も現場に入って一緒に仕事をやった、と著書にありました。でも普通であれば、バイヤーは途上国の向上には「作れ、作れ」と言うわけですよね。山口さんのやり方は、向こうから奇異な目で見られたんじゃないですか?

そうかもしれません。でも、三井物産で働いていたときに感じたことですが、「作らせられている」という気持ちで作った商品は、届く品質に限界があるんですよ。「作りたい」と思って作るものの品質は、それよりもずっと高い品質に届く。じゃあ「作りたい」という意識にさせるために、私がどう行動すべきかと言ったら、皆と一緒に家族のように働くことしかないじゃないですか。今でも私は、工場のみんなと同じように生産ラインに入って商品を作ることにしているんですよ。

バングラデシュでは、手ひどい裏切りにもあったと聞きますが。

提携していた工場に行ってみたら、もぬけの殻ということがありました。電話ではやりとりしていたんですけど、実は架空工場だったんですよね。その当時は、野党と与党が競い合っていて、国自体が非常事態警戒中。何が起きてもおかしくない状態で。ようやく工場に駆け付けたら、中はガランとしていて……。でも、ああいうことってよくあることなんですよ。

では、それぐらいでへこたれてはいられない?

いや、もちろんへこたれましたよ(笑)。へこたれたし、実際に仕事をする意味を見失った時期もありました。でもそういった時期を過ぎると、きっとできるはず!という思いがやっぱり湧いてきて。ちょっと時間をかけてもう一回やってみようって、思い直すことができたんです。

バングラデシュでのバッグ作りも苦労の連続だったとは思いますが、日本での販売の際には苦労はありませんでしたか?

それはもちろん。当時の日本は、まだまだバングラデシュを知らない人ばかり。私自身も小売のやり方がわからず、ただ会社やショップにカタログを持って行って、営業して、見せて、そのたびに馬鹿にされて。もう、ボロくそ言われましたよ。女のクセに、お金ないクセに、社会経験ないクセに……。話せば話すほど馬鹿にされたし、落ち込むこともありました。でも売らないと生きていけませんから、立ち止まっているわけにはいかなかったんですよね。

その頃から日本での仲間も増えてきた?

ええ。最初のメンバーは、アルバイトとして入ってきてくれた大学院生の子でした。でも次のメンバーが入るまでには、それから半年ぐらいかかりましたよ。やっぱり人を正社員として雇用すると大きな責任を背負うことになるし、その覚悟をするのには時間がかかったんです。

今現在、社員は何人いるんですか?

日本のスタッフは26人。現地スタッフが13人です。昨年末に、やっと現地に自社工場を作ったんです。建物を借りて、現地で面接をして、現地の工員を雇って。今までは他の提携工場にお願いして作っていたので、サンプルルームはあったんですけど、生産現場はなかったんです。これでようやく、物作りも品質チェックも、すべて自分たちの手でできるようになりました。

現在は、バングラデシュだけでなく、ネパールでも同じようなビジネスを始めているそうですね。ネパールにビジネスを広げたのは、バングラデシュでの活動が成功したと感じたからですよね?

はい。これまでは現地のマネージャー2人が一生懸命工場を回していて、ガッツや根性で乗り越えてきたこともたくさんありました。でもここにきて、ようやく品質システムや生産システム、あるいは評価システムが形になってきたんですよね。ひとつのモデルができたので、他の地にも広げてみようと。

それから最近、旅行会社のHISと提携して、バングラデシュツアーを実現させたんですが、それが非常にいいターニングポイントになったんです。日本人のお客さん約20人がマザーハウスの社内工場に訪れたんですが、工場で働くみんなにとってエンドユーザーを知ることができたのは、ものすごい財産になったんですよね。ましてや自分たちが作ったバッグを持って、工場に来てくれるわけですから。それ以降、工員たちの顔つきも姿勢も変わったし、誇りを持って仕事をするということを実感してもらうことができたと思う。やっぱり口で「お客様の気持ちになれ」と言うのと、実際にお客様と話すのとでは、全然重みが違うんです。

では、なぜ次の国をネパールに?

ネパールは人口も2500万ほどで、空気もキレイだし、観光産業もあるし、イメージ的には本当にいい国。でも、1人あたりで換算すると、実はバングラデシュよりもネパールのほうが貧しいんです。最初はアフリカも検討していたんですが、距離の障害が非常に大きくて。ファッションアイテムはシーズンが変わると、もう終わりですよね。だから船で何か月もかかるような国からの輸入は、やっぱり難しい。「それじゃあ、まずはアジアの貧しい国から」と考えて、ネパールという結論になりました。