人が行ったことのない場所へ!人がやったことのないことを!自分が一番最初に!!(在校生:玉木歩さん)

タジキスタンってどこや!?グローバルな視野を持ちながらもローカルにいくことが、今私にできること~アメリカの大学よりAPUを選んだ理由

私は高校の時に京都にあるインターナショナルスクールに通っていたのですが、卒業後の進路について学長とかには、「アメリカの大学に行け!」とずっと言われていました。
でも私は、「イヤだ」と拒み続けました(笑)。アメリカの大学も確かに面白いだろうし、日本とは違った経験もできるだろうけれど、私は日本の大学に行きたいと思いました。なぜかというと、日本の大学の方が、より自分の時間を自由に使えると思ったからなんです。もちろん大学で知識や専門性を高めることも必要だと思うけれど、それ以上に、何もないところから自分で何かを始めてみたい、そのためには時間が必要だと思ったんです。アメリカの大学へ進学した卒業生の先輩たちから、「アメリカの大学は勉強が忙しすぎて、何も考える時間がない。自分の将来についてもあんまり考える時間もないし、自分がやりたいことをゼロから起ち上げるということもできない」という話を聞いていたからかもしれません。専門性を高めるのであれば、大学院から欧米諸国に行っても遅くはないと思い、『大学で身につけるべきものは経験だ!』ということが明確になったんです。それで日本の大学を調べ始めたんですけれど、『これまで培った英語の力を落としたくない!』という想いを強く持っていたので、上智大学、ICU、立命館大学、立命館アジア太平洋大学(以下APU)、津田塾大学とかに絞られていきました。その中でも、やっぱり外国人留学生の方が多い学校がいいと思い、最終的に絞られたのがICUとAPUだったんです。中身を詳しく見てみると、確かにICUも留学生が多いんですけれど、やはり欧米諸国出身の方が多いんですよ。私は中学の3年間、実はイギリスにいたので、今度は欧米諸国以外の人たちとの交流を持ちたいと思っていたんです。立命館大学のオープンキャンパスでAPUのことを紹介されて、「えっ?こんなん聞いたことないぞ?」って(笑)。パンフレットを見てみたら、『87か国・地域からの留学生』と書かれてあって、そこには私が出逢ったこともないような、ミャンマー人、タジキスタン人…という記載が。「タジキスタンってどこや!?全然わからへん!!」って(笑)。その「全然わからへん」というところにすごく魅かれたんですよね。APUのオープンキャンパスに一人で参加し、その時に環境系の模擬授業を受講したんですが、そこで『Think Globally! Act Locally!』という言葉を初めて聞き、「これは面白いぞ!」と思ったんですよ。
それまで私は「グローバル人材でいたい、普通の日本人ではいたくない」という想いが強くあったんですけれど、でも「じゃあ実際、自分に何ができるのか」と言われたら、何の資格もないし、ネットワークもない今の自分で、「グローバルなことなんて何もできない」ということに気づいたんです。グローバルな視点・視野を持ちながらもローカルにいくことが、今の私が目指すべきことかなと気づかせてもらいました。オープンキャンパスでAPUが取り組んでいる様々な話を聞いて「よし、ここにしよう!」と決めました。他のところは受けないで、「ここAPU1本で!」と。

毎日がドキドキ!自分の世界が拡がっていくことを実感する日々!!

APUに入学して良かった点は次の4点です。

私もAPハウス(注1)に入寮したんですけれども、そこで初めて外国の方と実際に暮らすという体験をすることが出来ました。欧米出身ではないアジアの国出身の学生との間で、中国と日本の問題が話題に出てきたりとか、普通に話をしている中で、「え、今日は南京大虐殺の日だよ、知らないの?」とか言われて「えっ!?知らない」みたいな(笑)。日本人が日本のことを良く知らないってことを気付かされ、ドキドキするような日々の中で、どんどん自分の新しい世界を広げてもらっている気がします(笑)。
4つ目に挙げたAPUの柔軟性ですが、APUにはアジア太平洋学部(以下APS)と国際経営学部(以下APM)の2つの学部に分かれているのですけれども、授業はどちらの学部のものも取ることができるんです。私はAPSに所属しているんですけれども、APMの授業にも魅力的なクラスがあって…。

『自分が一番最初にできること』そして『APUでしか出来ないこと』を見つけた!~日本人初の≪ボツワナ大学留学生≫誕生!~

(笑)そうですよね!「ボツワナなんてどこ!?」みたいな(笑)。
当時の私は「人が行かないところに行きたい!」「APUでしかできないことをしたい!でなきゃAPUに来た意味がない」と思っていました。私はAPU8期生ですから、あらゆる挑戦を先輩たちがすでに取り組んでいて…、じゃあ、「私ができる新しいことって何だろう」と、その頃考え続けていました。
そしたら『日本の大学で初めて、APUがボツワナ大学と提携』というニュースが耳に飛び込んできたんです。それで「これはやるしかない!」と(笑)。もともと途上国開発とか後進国支援という問題にすごく興味があったのですが、授業で学んではいるけれど、「行ってみないとそんなの分かるわけない!」という気持ちも強く持っていました。知識面を深めるだけなら、大学院でもできるだろうし、欧米諸国へなら大学院に進学する際にも選択できる道はたくさん残っている。でもボツワナの大学、しかも1年間行けるなんていうチャンスは、「今を逃せば次はない!」って思いました。ボツワナ大学はボツワナにある唯一の大学なので、国の未来を担う人材がそこで学んでいる訳ですよ。ボツワナ大学へ行くということは、『ボツワナという国の未来を見る』ことだと思いました。「途上国の未来を見てみたい!」という気持ちになったんです。どういう人材がいて、その人たちが国の重職を担う人材になっていく20年後、30年後に、その国がどう変わっていくのか。「その時こそ、私が一番活躍できる時」だと思うんです。ボランティアで行くこともできますが、ボランティアだとやはり、現地の人と現場で一緒に活動することになりますよね。それもすごく大切な経験だと思いますが、『国の未来を見る』ということとは少し違うことだと考えました。だからボランティアでもなく、青年海外協力隊でもなくて、大学に入って『人と国の未来』を見たいと思ったんです。こうして私はボツワナ大学留学を決めました。

やっぱり行ってみないとわからないなー!~『途上国=ハングリー』は嘘??~

すごく、面白い国でしたね。初代大統領はオックスフォード大学で法律を学んだ方で、今の第4代大統領はその息子さん(イギリス人とボツワナ人のハーフ)なんです。彼は今ボツワナをすごく民主的な国にしようとしていて、他のアフリカ諸国に比べると汚職とかも非常に少ないんです。うまく富も分配されていて、すごく裕福な国でした。以前はイギリス保護領だったのですが、ちょうど独立した直後にダイヤモンドが見つかったんです。保護領時代はアフリカで2番目の貧困国で、こんな国より隣の南アフリカ共和国に手をかけた方がいいということもあり、長年放っておかれたそうです。当時は、アスファルトの道路がイギリス領事の方の家と領事館とを結ぶ全長3キロしかなかったくらい、放っておかれた国なんですね(笑)。でも独立直後にダイヤモンドが見つかって、搾取もされず突然裕福になったんです。
大学もタダで寮費もタダ、プラス生活費も学生は給付されていました。また、HIV感染率が高いんですけれど、ARVという薬があって、その薬もタダで配布されていました。人口が200万くらいの国で、人口が少ないこともあると思うのですが、すごい手厚い国なんです。そういう特殊な環境ということもあるんでしょうけど…私が思ったのは…「彼ら、意外と勉強しないな」ってことでした。口では結構「俺らはハングリー精神がある!」と言って、「これをやりたい」、「あれをやりたい」と言うんですが、結局、口だけなんですよね。「意外とハングリー精神がないんだなぁ」って思ってしまいました(笑)。
彼らは寮費や補助金を国からもらっているし、ものすごくみんな優秀だろうなって思っていたら全然違ったんですよ。逆にお金をもらっているから勉強しないんですよね。国からお金をもらって大学へ行くよりも、自分でお金を払って行った方が、よりハングリー精神を持って、より勉強に取り組むということに気づきました。
APUの国際学生(=様々な国からの留学生)を見ていた時には、一生懸命文献を読んだり、『すごくハングリー精神を持って勉強していて、国の将来を考えながら大きな夢に向かって進んでいる』というイメージが、私の中での途上国の学生像でした。それがボツワナに来て、「根底から崩れた!」…という感じで…(笑)。でも、それもまた「面白いなーっ!」って思えたんですよね。「やっぱ行かないとわからないなー」って。もちろんその中でも頑張ってる人はいましたし、国内のダイヤモンドがもうすぐ枯渇するということもあって、政府も危機感を持ち始め、だいぶ補助金を削減したりしているので、これからは少しずつ変わっていくと思います。

途上国で知った≪権力≫の味!!

私、ボツワナ大学で、原爆の写真展を企画し開催したんですよ。その時ですかね。展示会それ自体もそうですが、開催するまでの試行錯誤していくプロセスの中で、たくさんのことを学びました。
日本にいた時にはあんまり感じたことがなかったんですが、ボツワナという途上国での初めて≪権力≫というものを目の当たりにしました。
原爆展を開こうと大学当局に何回も何回もアプローチしたのですが、結局、権力を持っていない人にアプローチしてみても、何も進まないんですよ。だから、展示会を実現させるために、権力のある人のところへ行って訴えました。そうしたら、もう面白いくらいに物事が進むんですよね。本当にびっくりしました。

『一人一人ができることから始めてほしい!』→じゃあ私が出来ることって??

以前、【国際学生50人くらい連れて、被爆地としての長崎を見学へ行く】という企画のリーダーをする機会がありました。実施する前は、「こんなことをしても、平和になるわけない!」みたいな先入観を、実は抱いていたのですが…。
【一万人から署名を集めてそれを国連に送る】という一万人署名活動、ありますよね。「そんなん送ったところで、何がどう平和に繋がるん!?」「結局やってる人の自己満足じゃないの?」っていう考えの持ち主でした。でも実際に長崎に行って気づいたのが、署名自体が平和に直結していなくてもいいということ。署名活動をすることで、その活動に参加した人たちが平和について考える【とっかかり】を創ること、それが大切な目的なんだと気付くことができたのです。長崎では、被爆者の方から被爆体験についてお話をいただいたのですが、その際に「一人一人ができることから始めてほしい」というメッセージを頂きました。それで、「私に出来ることって何かな?」って考えた時に、もうその時にはボツワナ行きが決定していたので、「あ、ボツワナ行くやん、ボツワナでもやってみたらええんちゃうかな」って…。最初は偏見というか、批判的に見てたのに、それを「何かしたいな」って思わせてくださった方々には本当に感謝しています。
また、その被爆者の方のお話が終わった後、国際学生の反応がものすごかったんです。参加した50人のほとんどがその被爆者のところに行って、取り囲むようにして色んな質問をしたんですよ。私たち日本人にとって、原爆のことは当たり前というか、小学生の頃からずっと学んできたことで、そこまで目新しいものではないですよね。でも国際学生の人たちにとっては、ものすごく目新しいというか、興味があることなんだなって思いました。

やるならもっと目立つところでせなあかんな。じゃあ大学の図書館の入り口で!

反響は結構よかったんですよね、これが。設置した【大学の図書館の入り口】という場所も良かったんですよ。【Exhibition Hall】みたいな、ちゃんとした展示会向きの場所は地下にあって、あまり誰も近寄らないところだったので、以前から「やるならもっと目立つところでせなあかんな」と思っていました。それを図書館の方に話したら、「そんなん、図書館の入口でやってくれていいよ」という提案を頂き、有難くそこに展示させていただきました(笑)。原爆展ではプレゼンテーションと映画上映会をしたんですけど、そこで上映したのは、長崎の高校生たちがつくった「被爆者証言ビデオ」で、被爆者の方をインタビューした、英語の字幕付きの映像でした。それを流した後、原爆についてのプレゼンテーションを私がしました。他にも関連の書籍を設置したり、コメントブックみたいなものを置いたりしました。最終的にコメントは231件も集まりました。観に来てくださったのが学生だけではなく、掃除の方だとか、職員の方だとか、もちろん教授の方も来てくれて…。知り合いの教授は授業として自分のクラスの学生たちを連れてきてくれました。すごく嬉しかったです。

多分イギリスに行った時が私の転機だったと思います。

先程中学3年間もイギリスにいたってお話しましたが、多分イギリスに行った時が、私の転機だったと思います。実は私、小学校の時不登校で、「絶対日本の中学には行きたくない」って両親に伝えていたんですが、母が偶然、新聞か何かに載っていたイギリスのフリースクールの記事を見て、「ここ面白いんじゃない?」って言ってくれたんです。「イギリス?外国?かっこいい!!」みたいな(笑)。その時私ちょうどハリーポッターにはまっていて、≪イギリス→ハリーポッター→行ってみたい!≫って思って単身でイギリスへ行きました。全く英語も喋れないのに…(笑)。なんかもう「12歳だったからこそできたかな」って思いますね。そのフリースクールが、やっぱり自主性を大事にしてくれる学校だったんですね。自分で何かをする楽しみっていうのは、そこで覚えました。
私の両親にとっても、大きな決断だったとは思うんですけれど、無理に日本の教育に娘を合わせようとはせず、娘に合った環境を広い選択肢の中から探し出してくれた両親には本当に感謝しています。私の父は高校の教師で、母はパートで働いていて、家はそんなに裕福ではないんですが、それでも渡英させてくれたっていうことは、その後の私の人生にとって、大きな転機となりました。

「だから何?」という問いに応えられるような留学にしたい!!

APUを卒業したら、日本で『新しい留学』を創ってみたいですね。
今の日本人って、皆と同じではなくて、個性を大切にしたい方が多いと思うんですよ。だから個人の価値観とか、個性というものをビジネスにできる環境がすでに出来上がっていると思うんです。日本はある程度、経済的に発展して豊かですよね。じゃあ物質的なものが満たされたら、次は何を満たしたいかっていうと、やはり自分の価値観とか個性かなって思うんですよ。「それに応えるモノを提供したい」と思いますし、例えば今、高齢者の方がすごく元気があると思うので、シニアの方々を対象にした留学もどんどん創り出してみたいです。

ボツワナ大学に行って本当に良かったんですが、「あぁ、これやっとけばよかった」と後悔したこともあるんです。それは、現地の一般の方とあまり接することができなかったことです。もう1つは、学生の中でも【ある程度裕福な家庭の方】とだけしか仲良くなれなかったことです。あまり裕福ではない人って、こちらがいくら友達だと思っていても、やっぱり違う目で私を見ているんですよ。ことあるごとに「お金ちょうだい」とか、「携帯のクレジット買って」とか、「もうその服いらないでしょ、私に頂戴」とか…。
理解できる部分もあるんですが、でもやっぱり自分の気持ちとしては、そういうのを目的に「友達になりたい!」って思われるのがすごく嫌だったんです。
そんなこともあり、結局仲良くなれたのは、いわゆる【上流階級の方】でした。彼らから「何かを買って」と言われることもないし、一対一の人間として付き合えたっていうのが嬉しかったんです。それでもやっぱり後悔してるんですよね。せっかくボツワナまで行って、途上国援助に興味があったのに、上流階級の人たちとだけ一緒にいて、「何をしてきたんだろうなぁ」って、…その後悔がすごくあります。

実は、ボツワナ留学時にCIEE(注2)という留学斡旋の機関を通して留学して来た人がいたんですけど、そのプログラムがものすごく面白かったんですよね。私も「こんなプログラムで留学したら絶対得られるものが多いだろうなぁ」と思いました。どんな内容かというと、まず自分でリサーチプロジェクトみたいなものを設定するんです。例えば、今、ボツワナは農業にすごく力を入れているので、「ボツワナにおける農業」とか、今は酪農が多いのですが逆に「ボツワナにおける稲作について」とか。他にも、道端でおばちゃんたちがいっぱい屋台を開いているんですが、「おばちゃんたちが屋台をやるための資本は一体どこから出ているのか」とか…。
自分が興味のある様々な分野で、そのリサーチの目標を設定するんですね。そして、それに基づいて自分で地域やセンターなどを訪問してリサーチをしていくんです。最後には発表としてパネルディスカッションをするというプログラムでした。「面白い!」って思いました。なぜかというと、私が地元の人たちと交流をあまり持てなかったのは、言い訳なんですけど、【とっかかり】がなかったんですよね。でもそのCIEEのプログラムの一番いいところって、その【とっかかり】をつくってくれるところなんです。ある程度の枠組みがある中で、「やらなきゃいけない」という状況にさせるんですよ。「やらなきゃいけない状況」があると、やっぱり頑張れるんですよね(笑)。
自分の好きなことを追及していくと、≪自分だけの留学≫ってきっと出来ると思います。日本に帰国した後、「留学したのはわかりました、英語ができるのもわかりました、だから何?」って聞かれた時に、それに答えられないとつらいですよね。何も答えられない相手を批判することは誰でも出来ると思います。でも私は、その問いかけに答えられるような成長や学びを本人が得てくる為の、何らかの【とっかかり】を創ってあげたいと思っています。「だから何?」に応えられるような留学を創造し、提供していくこと、それが私が考える『新しい留学』の一つです。

そして留学の仕事に携わりながら、その先に見ている人生の大きなビジョンは、「世界の人を個人レベルで繋ぎたい!」ということです。そういうコネクターのような自分になれたらと思っています。
ボツワナ留学自体は、実は5月には終わっていたのですが、その後1ヶ月後強に渡って、バックパックで様々な国に行きました。色々な国で、色々な人に出逢い、色々な人に助けられました。「あっこれも、小さな国際援助なんじゃない?私、援助されてる!」って思ったんですよ。これも国際協力の一つだし、個人レベルから出来ることですよね。
私、援助依存ってすごくダメだと思っているんですよ。途上国の問題の一つはそれですよね。そこで援助依存にならない為に必要なことは、「本当に自立した人を創っていくこと(=教育)」と「その自立した人同士をまず基盤として繋げていくこと(=ネットワーキング)」だと思います。
途上国であっても、先進国であっても、一人一人が自立し、その自立した人間同士のいたわり合いこそ、個人レベルで出来る国際協力なんじゃないかなぁって思ったんです。そんなことを考えながら、常に自分の中に「平和」というキーワードを持ち続けていきたいって本当に思っています。

APハウス
立命館アジア太平洋大学に通う世界約70か国・地域から集まった約1300人が暮らす学生寮。キャンパスに隣接する寮には、まるで地球村のような多文化空間が広がっている。言語や文化、宗教、生活習慣、すべてが異なる同世代の仲間たちとの生活は実に刺激的。互いを認め合い、意見を交わし、ときにぶつかりあい、協同を繰り返す中で、異文化理解力とコミュニケーション能力を磨いていける居住施設。

Resident Assistant (RA) レジデント・アシスタント
寮生がAPUや別府での暮らしを始めるにあたって必要な支援をする学生スタッフのこと。 各フロアに2名ずつ配置(1名は国内学生、1名は国際学生)されていて、新しい寮生は国内学生のRAからはAPハウスや日本のルールなどについてのケア、国際学生のRAからはホームシックなどに関するメンタルケアを受けることができる心強い存在。
また、RAが中心となってそのフロアの交流イベントを企画し、新寮生がAPハウスで人間関係を確立するための支援も行う。

CIEE
Council on International Educational Exchange (CIEE)
1965年に日本代表部が東京に設立され、42年にわたり高校生・大学生を対象とした国際教育、体験、交流プログラムを中心に、新しい時代のニーズに応じて、海外でのボランティアや就業体験プログラムも提供し、すでに5万人を超える人々が参加している。さらに、日本政府より委託された国際交流に関する調査・研究、教員を対象とした派遣研修、受入プログラムへの協力など、活動は多岐にわたる。
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